中小企業という名の小宇宙(1)下町のミケランジェロ

 大阪は中小企業の聖地です。ライターという仕事柄、中小企業におじゃますることがたびたびあります。
 創業者やその二代目、三代目社長、ひらたくいえば町工場や商店街の大将たちに、経営に関するあれやこれやを聞かせていただくわけですが、その多様性に圧倒される思いです。
 経営手法はひとつではない。星の数ほど、無限に存在する。経営の教科書は毎日、現場で書き替えていく。本日からしばらくは「中小企業という名の小宇宙」と題して、中小企業の豊かで、ときに不可思議な多様性の世界を、報告してまいりたいと思います。
 1社目はゴム加工品メーカーのA社。従業員は10人弱。大衆的な日用品を作っており、近年は海外勢に押されて仲間内では撤退組が相次いでいます。そのため、ある商品に関しては、A社がついに日本で唯一のメーカーになってしまいました。オンリーワン企業ということになります。
 取材を依頼すると、社長いわく「忙しいから、日曜日に来てくれるなら」とのこと。その通り日曜日に長屋を改装した工場を訪問すると、社長がひとりで機械に向かっていました。
 いわく、製造してもほとんど儲からない。従業員に残業代を払えないから残業をさせられない。その分だけ、自分が日曜日に出てきて、納期に間に合わせている。この社長、ほとんど休みません。前年に休んだのは同窓会に顔を出した一日だけ。しかも、会社からはまともに給料をもらっていないという。
 妻がパートで働き、家計を支えています。妻に工場の手伝いをさせても、給料を払えないので、外へ働きに出かけているのだという。外貨獲得です。それでも家計が苦しくなったときには、社長が会社に貸し付けている貸付金の一部を返済してもらうかたちで、生活費などを引き出す……。
 こんな話を社長は素材をプレスする金型にセットする手をゆるめることなく、語って聞かせます。その手さばきの見事さは、エリック・クラプトンの「スローハンド」のごとし。すごいのは熟練の技だけではありません。
 天井を見上げると、すきまから青空がみえる。家庭用の扇風機があちこちに据え付けてあります。ゴムの粉じんや熱気を和らげる工夫のようですが、社長自身が改良を加えたとか。機械を動かす電気の配線などもお手のもの。工場の財産ともいえる各種金型が無造作に積み上げてられ、中には使わなくなったものもありますが、苦労して開発したそれぞれの金型に思い入れがあるようでした。
 私は誌面で紹介するとき、工場のある町名を盛り込んで、社長を「B町のミケランジェロ」と名付けました。儲からない、休めない、前途は暗い。ないない尽くしながら、稀代の天才芸術家のごとく、自身の持てる知恵、才能、時間、体力などの人間資源を、経営資源としてすべて出し尽くして、仕事に打ち込んでいます。あっぱれな人生ではありませんか。
 工場の入口にゴミ箱があります。学校帰りの子どもたちがゴミ箱をのぞきこむ。「あった、あった!」。何やら宝物を見つけたように持ち帰ります。
「不良品でも子どもたちなら喜ぶやろうと思って、置いてある。散らかしたら叱るけど」
 下町のミケランジェロは地球にやさしい教育者でもあります。儲からないのに、唯一の商品を作り続ける理由は、
「うちが作らんかったら、困る人間もおるやろ」
 効率経営とはほど遠い世界ながら、会社を維持し、数名の雇用を支えています。半面、むしろ非効率なほど、幸せに近づけるのかもしれません。