中小企業という名の小宇宙(3)朱塗りの桜と満開の桜

 東大阪市はものづくりのまち。東京都大田区とともに中小製造業の密集地として知られています。町工場のおやじたちが、知恵と技術を持ち寄って、人工衛星を開発。宇宙空間での研究調査に成功したことが話題になりました。
 精密素材メーカーのD社も中小企業ながら、世界でも3社だけという独自の技術を誇っています。中小企業にとって、経営はつねに油断ならないものですが、2代目社長Eさんは、ひとつの信念を胸に秘めて経営にあたってきました。その信念とは「どんなに苦しくとも、人材のリストラはしない」。創業者である父の教えでした。
 創業者時代、景況悪化に伴う経営不振に見舞われ、創業者はやむなくリストラを断行しました。しかし、経営の回復とは裏腹に、創業者は新たな苦しみを抱えるに至ります。リストラした元社員の大半はご近所さん。リストラしたあとも、ときおり顔を見かけるのがつらい。ことあるごとにEさんに語りかけました。
「あのつらさはたまらない。申し訳なさがこみあげてくる。いいか息子よ。どんなに苦しくとも歯を食いしばり、二度とリストラをしてはいかん」
 このほろ苦い体験に基づく教えを、Eさんは忠実に守り抜いてきました。では景気の冷え込みにどのように対応すればいいのか。Eさんはコンパクトなワークユニットの視点でしのいできました。
「4、5人の余剰人員なら、新分野をひとつ開拓したら、仕事を確保できます」
 大規模な業態転換は急にはむずかしい。リスクも大きい。しかし、小さな新分野なら経営努力で見つけることができる。4、5人の食い扶持を稼ぎさえすれば、リストラなしでも、なんとか会社は回っていく。中小企業ならではの懐の深さを生かした発想でしょう。こうした新分野への挑戦が、社内に新しい刺激を持ち込んでくれるというメリットもあります。
 Eさんは昨秋、3代目に社長の重責を譲り、会長に退きました。引き続き多忙をきわめながらも、父から引き継いだ会社を、3代目にバトンタッチできた安ど感を感じています。とはいえ、仕事一本槍の人生をやみくもに歩んできたわけではありません。クラシックカメラのコレクター研究家であり、昨年勇退記念の能を舞うなど、文人肌の一面を持ち併せています。
 本社工場内に稲荷神社が祭られています。創業者が商売繁盛や安全操業を願って勧請したものです。Eさんは毎夕参拝し、「きょうも無事終えることができました」と感謝して家路につくのを日課としてきました。
 鳥居の傍らに、数本の八重桜が植えられています。毎年、Eさんをはじめスタッフ総出で、心づくしの花見の宴が催されてきました。朱塗りの鳥居と満開の桜。日本のものづくりの倫理観や美意識を、見事に物語っているのではないでしょうか。ことしも宴はもうすぐです。