トリックスターがまちをうろうろ

 文化人類学者の山口昌男さんが亡くなりました。お会いしたことも、まともに著書を読んだこともありませんが、山口さんの「トリックスター」理論を、ひそかに仕事に取り入れてきました。
 「トリックスター」は折口信夫の「マレビト」とも通じ合うと思います。私のライターとしての主戦場は、大阪の夕刊紙や地域情報誌。どちらも発行エリアが限定され、発行部数も少ないマイナーメディアです。
 月刊の地域情報誌で、あるまちの特集を組んだとします。しかし、大所帯の取材チームが長時間投入される「NHK特集」的展開は望みようがありません。せいぜい2、3人で2週間ほど通い、エイヤと取材して、数十ページ分の記事を書いて書いて書きまくる。それだけのことしかできないのですが、2週間のうちに、少しばかりですが、まちに変化が起きることがあります。
「見かけんやつらが最近、うろうろしてるな」
「なんや取材してるらしいで」
「なんの取材や」「ようわからんけど、××さんとこに来たらしい」
「ほな、うっとこにも来よるかいな」
 こんな会話がまちのあちこちで交わされるようになる。よそ者が入り込み、まちを少しだけかき回す。かき回されて、まちが少しだけざわめく。
 取材を受けた人たちは、まちの昔のことやら、商売のことやら、夫婦のなれそめやら、ありとあらゆることを聞かれる。うんざりしながらも、そのうちに、「そういやあ、思い出した! こんなこともあったなあ」などと、改めて気づくことがある。
 そして、ふと見渡すと、ライターたちはいつの間にか、おらんようになっている。で、しばらくすると、ほかのまちにライターたちが顔を出し、自信なさそうな顔つきで、同じようにうろうろし始める――。
 媒体としての数的量的パワーがない分、代わりに何ができるか。ほんの少しくらいはまちをかき回し、まちの人たちに「おもろかったなあ」とつかの間の刺激を提供し、わがまちの再発見や自己確認に役立ててもらう。そんなトリックスターになりたいと思いつつ取材してきました。
 夕暮れてトリックスターの道半ばですが、あとしばらくは、いやできるならば、まちに明かりがついているかぎり、うろうろを続けたいと思っています。