中小企業という名の小宇宙(5)「好き好んで兼業」の可能性

 大阪のまちを歩いていると、ときおり何屋さんかわからない店に出くわします。私が直接おじゃましたわけではないのですが、同僚が取材した店は「町工場」と「立ち呑み屋」を兼業していました。
 二階が金属加工の町工場。一階が立ち呑み屋。一階は奥さんが仕切っており、だんなさんが仕事が終わったら二階から降りてきて、立ち呑み屋を手伝うそうです。
 立ち呑み屋を始めて十年。その前は同じ場所で散髪屋(関西では床屋さんを散髪屋と呼びます)、焼き肉店、雀荘などを切り盛りしていたこともあったそうです。
 つまり、一階は業種が変わっても、つねに人が集まるサロンになってきました。昨日の山口昌男さんのトリックスター理論を援用すると、ご夫婦も店自体も、まちやひとをかき回すトリックスターを演じたきたといえます。
 これまで「兼業」は「正業」一本槍と比べて、少しランクが低く扱われてきたきらいが否定できません。「半農半漁の貧しい寒村で生まれ育ち」とか、「冬はおとうが出稼ぎさ行って帰ってこねえ」とか。そんな文脈で語られ、本来は正業一本槍であるべきなのに、それが叶わないからやむなく兼業をせざるを得ないという解釈で、言葉少なに語られてきました。
 しかし、この「町工場」兼「立ち呑み屋」の兼業は、もう少し積極的な意味合いで評価してもいいのではないでしょうか。おそらく兼業をしたところであまりもうかりはしないけれど、ご本人たちは気持ちよく働き、まちの人たちも喜んでくれる。ものづくりとサロンづくりの堂々たる併営です。
 「やむなく兼業」から「好き好んで兼業」へ。企業経営に兼業を正当とする新しい選択肢と可能性が広がってほしい。「うちはこれとこれを兼業してまして」「その組み合わせはすごい」と、胸を張って語り合える時代がやってくればおもしろいですね。

追伸。
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