転職のフォークロア(1)中心と周縁を自在に往還

 山口昌男さんと展開した松岡正剛さんの仕事論、いかがでしたか。「はか」という人生の評価基準と、「隠居」という生と死を還元する人事システム。先人たちの知恵を一端を教えていただきました。
 読んでいるうちにあれこれ思いが触発されてきました。
 たとえば「窓際族」は昭和の時代、よく聞かれた言葉です。「窓際」に追いやられるなどと、物悲しいペーソスとともに流通した言葉ですが、おふたりの議論をもとに再検討すると、「窓際」は「隠居枠」だったわけですね。もう少し隠居ぐらしを楽しむぐらいの度量があればよかった。最近の「追い出し部屋」は露骨すぎで、少し芸がないように思えますね。
 山口さんの中心・周縁論を援用すると、転職も違った一面がみえてきます。
 これまで転職肯定論では、天職や適職と出合うための「天職遭遇転職」、あるいは目標に段階的に近づいていく「ステップアップ転職」などが想定されていました。ところが、なんど転職してもなかなか天職に到達できないケースが珍しくありません。ステップアップに成功するのはごく一部のエリートだけというのが、現実でした。それゆえ、転職に対する世間の相場は、昭和も平成もあまり変わっていないのではないでしょうか。
 見方を変えましょう。転職すると、中心と周縁が入れ替わります。
 これまで組織の中心にいた人物が、新しい会社に移ると、ズブの新人に逆戻りです。年齢もキャリアも関係ありません。ある程度のポストで迎え入れられたとしても、いちばんの新参もんであることは事実です。謙虚に組織になじまないと、実力があっても発揮できないわけですから、周縁から中心をながめるというスタンスがしばらく続きます。
 やがて、実力を出し切ると、歳月の経過とともに中心へ近づいていく。しかし、中心に座ってしまうと、自分も組織もだれてくる。腐敗の始まりです。
 そこで、再び転職。リセットして、もういちど周縁から出直し。この「中心・周縁往還転職」は、絵に描いたような天職との遭遇や劇的サクセスストーリーとは無縁かもしれません。
 たぶん給料も増えたり減ったりです。世間体もあまりよくありません。しかし、表面的には横滑りしているだけであっても、本人はつねに適度な緊張感をもって気持ちよく仕事をしています。組織にとってもマイナスよりプラスが多いのではないでしょうか。
 極論すれば、社長、ヒラ、社長、またヒラ――でもいい。転職初日。あの緊張感はいくつになっても慣れませんね。慣れないことに緊張しながら挑戦するかぎり、人間はそんなに堕落しないと思います。きょうからしばらくは転職のフォークロアに迫ってみます。