転職のフォークロア(2)「包丁一本さらしにまいて」

 昔ほどではないにしても、転職にはいまだに後ろめたさがつきまとう。数少ない例外のひとつは、料理人の世界でしょう。
 料理人たちは転職を否定しません。むしろ、若いころはどんどん店舗を移り、新しい親方のもとで修業に精を出す。行く先々で未知の食材に出合い、新しい料理や客あしらいを覚え、腕を磨いていく。
 歌の文句にある「包丁一本さらしにまいて」式OJTです。親方が引き抜かれると、部下の料理人たちが親方について、ごそっと移動することも珍しくありません。
 大阪市福島区のとある洋食屋。ランチのおいしい下町の人気店です。料理人歴半世紀のベテランシェフAさんは若き日、全国を渡り歩きました。
 昭和30年代後半から40年代、日本列島でホテルラッシュが沸き立つ。Aさんの親方は関西フレンチ界の実力者。親方は地方にホテルができるたびに、フランス料理部門の立ち上げのために招へいされました。
 当時、立派なホテルは建てられるものの、地方にはフレンチを熟知する料理人がいません。親方が請われて地方へ乗り込むたびに、Aさんら大勢の若い衆が付き従いました。
 やがて、Aさんは独立の頃合いを迎え、大阪で小さな洋食屋を開いたという次第です。数百円の定食にも、フレンチの技が隠し味としてきいているのが、人気の秘密です。厳しく鍛え上げてくれた親方に感謝し、亡くなった親方の墓参りを、今も律儀に欠かしません。
 大阪・道頓堀。人気大型店B店へ取材に出掛けました。すると、料理長が4人も待ち構えていました。洋食、和食など、部門別のリーダーたちです。
 豪華な料理の競演となりましたが、印象深いのが、その中にひとりSさん。若いころB店に勤めたのち、数店舗で修業したうえで、今度は料理長としてB店に着任したそうです。サケのごとく、料理人として世間の荒波に揉まれて成長したのち、母なる店に戻ってくることができました。料理界独自の長期人材育成サイクルの神技ともいえるでしょうか。
 しかし、景況は油断ならず。B店はその後、惜しまれながら暖簾をおろしました。オーナーが熟慮した結果、余力を残しての名誉ある撤退でした。Sさんは今ごろ、どこで腕をふるっていらっしゃるでしょうか。志燃え尽きるまでのご健闘をお祈りしています。