転職のフォークロア(3)「流れ板」のリリシズム

 漫画やアニメは専門外で、決して勤勉な読者とはいえません。漫画の世界にはほとんどかかわったことがありませんが、漫画で仕事や職業人がどのように表現されているか、それなりに興味があります。
 転職のフォークロア、料理人の包丁つながりで、「包丁無宿」という漫画を思い出しました。故たがわ靖之さんの作品で、全四十五巻が刊行されたそうです。
 主人公は板前の「暮流助」。名門料亭のエース候補でしたが、悪の料理組織の術中にはまり、料亭から破門されて、全国を渡り歩く「流れ板」に身をやつします。
 この流助、なかなかの男前。料理人の美意識とアウトローの妖しさを併せ持つ。行く先々で少なからぬ災難に遭遇しますが、卓越した料理の知識と技量を駆使して、危機を乗り越えていきます。いちどドラマ化されているようですが、私の世代としては、若き日の藤竜也あたりに演じてもらいたかったですね。
 手元にある第二十巻を再読してみました。第一話「片月見」の舞台は、とある地方の老舗料亭。後継者の座をめぐり、兄弟子と弟弟子が激しく対立しています。配下の料理人たちも、まっぷたつに割れてしまう。そこへ、いつものように、当座の稼ぎを求めて紛れ込んだ流助が、ふたりの対立に巻き込まれていく。最後には、ふたりが料理対決で決着をつけようという展開になります。
 で、いろいろありまして、流助はふたりの料理人の仲違いをやめさせ、昔のようにふたりが協力して店を盛り上げるよう諭します。
 その説得の切り札が「片月見」です。日本には古来より、満月の十五夜だけではなく、わずかにゆがんだ風情を愛でる十三夜にも、月見に興ずる習慣があった。だからこそ、料理もどちらかが欠けた片月見ではいけない――という見事なフォークロアでドラマが幕を閉じます。
 引き留められてもさすらうしかない流助には、「流れ板」のリリシズムが漂っています。毎回脇を彩る料理人、経営者、料理通たちも、濃淡こそあれ、煩悩を抱えています。
 思うように仕事ができない。いい仕事をしても、苦しまねばならないのはなぜなのか。仕事も事業も、つねに油断ならないものであり、だからこそ、味わい深いものであることを、去りゆく流助が、後ろ姿で教えてくれます。