転職のフォークロア(4)「履歴書」の魂の叫び

 なかなか希望の職種に付けずに、悶々としている人たちがたくさんいらっしゃるでしょう。世の中には、大手金融、総合商社、外資系コンサル会社などを自由自在に移動しながら、キャリアアップに忙しい経歴の人たちが、ときおり登場されますが、どこか違う星の人かと思います。
 私の主戦場は関西のマイナー・メディアです。おおむね取材しての原稿書きで、生計を立ててきました。これといって、胸の張れる記事をぐいぐい書いてきたわけではありません。しかしながら、先月還暦を迎えましたが、なんとかやりたい仕事でめしを食えてきたのだから、この人生、良しとしよう。そう思っています。
 なぜなら、こと関西においては、メディアの仕事にかかわれるチャンスがどんどん少なくなっているからです。おいおいと、このブログで書き連ねていくことになると思いますが、ライターに生活費を提供しながら、しっかり鍛え上げるインキュベーションの役割を果たすメディアが、関西では激減してしまったからです。
 インキュベーションとの出会いに恵まれた私は運が良かったと思っています。
 これまでいくつかのメディアで、社員記者の採用や契約ライターの発掘を担当したことがあります。
 そのたびにたくさんの人たちの履歴書を拝見してきました。記者になりたい。原稿を書いて世に問いたい。そんな気迫がひしひしと伝わってくる半面、その気迫を仕事に置き換える機会に恵まれていないことも、履歴書が教えてくれます。
 ラグビーでいえば、ようやくつかんだスクラムサイドの一瞬の突破が、大きなゲインを生み出すわけではない。ボールをオープンに回しても前進できずに、どんどん後退してしまう。
 フリーペーパーなどの情報紙の百字単位の短い原稿を繰り返し書くうちに、「少し長い原稿を書いてみないか」という依頼が舞い込む――というような次の展開になかなかつながりません。そのうち、取材記事以外のコピーワークを手掛けたりしているうちに、商品開発のアイデア会議にからんだり……と、せっかくの志が拡散してしまいがちです。
 履歴書はそうしたくやしさや無念さを、淡々と、しかし残酷に浮き彫りにしてしまいます。履歴書を拝見しながら、私にはその不運は他人事ならず。せめて同情せざるを得ませんでした。前進を図りながら結果が出なかったにしても、数々のアタックの軌跡は、了としましょう。私自身を含めて、あまり自慢できることではありませんが、連敗記録も立派な戦績です。
 メディアに限らず、少しでも余裕のある会社の採用担当者は、履歴書の心の叫びに耳を傾けてください。勇気あふれるチャレンジャーに、いまいちどチャンスを与えてあげてほしい。
 そして、チャレンジャーたちよ。仕事の神様はあなたの日々研鑽をしっかり見守ってくれています。トレーニングを続けましょう。