転職のフォークロア(6)関ヶ原の合戦後の転職事情

 藤沢周平の「証拠人」。短編集『冤罪』(新潮文庫)の冒頭を飾り、藤沢作品の中でも、個人的にはベストテンに食い込んでくる名作のひとつです。
 主人公は、関ヶ原の合戦で敗れて失業した浪人佐分利七内。合戦後、二十年たっても、いまだ仕官に至らず。河川工事などの人夫仕事で食いつなぎながら、どこぞの藩で中途採用の予定あり――などのうわさをたよりに、出掛けてはサクラ散るの繰り返し。気が付けば、いつしか四十を越えてしまったという御仁です。
 かつての主君は、石田三成の盟友大谷吉継。私はこの三成・吉継の盟友関係こそ、戦国乱世の打算の泥沼に咲いた奇跡の花と理解している人間なので、この七内さん、他人とは思えません。七内自身、ラストチャンスの覚悟で、庄内藩の採用試験を受けるシーンから物語は始まります。
 この物語の成立に欠かせない影のキーパーソンが、タイトルにもなっている証拠人。当時、「高名の覚え」と呼ばれる書類がありました。合戦での奮戦ぶりを、第三者が認定するため書いてくれた書類です。紹介状と職務経歴書を兼ねたようなものでした。採用試験の際、浪人たちが自己アピールできる重要な書類だったと思われます。
 で、七内さんも、関ヶ原の合戦にかかわる「高名の覚え」を差し出したところ、採用担当者が関心を示す。「百石でどうだ」と破格の採用条件まで提示してくれますが、ひとつだけ条件が付いていました。この「高名の覚え」の執筆者である証拠人を探し出し、「書面に間違いなし」の確約を取ってきてほしいというものでした。
 証拠人は敵方東軍の武士。合戦の現場で偶然出くわしただけですので、連絡先を特定できるような個人情報はほとんどありません。苦労を重ねて、ようやく武士の居所を突き止めますが、武士はすでに亡くなっていました。これにて仕官の夢はついえたと落胆する七内さん……。しかし、ここから物語は意外な展開を見せ始めます。とりわけ、藤沢短編作品でも屈指と思われる秀逸なラストシーンが待ち受けていますが、ご自分で読んでかみしめてください。
 関ヶ原の合戦から三百八十年。私が駆け出しの記者だったころ、年配者が若手の紹介文を書く習慣が残っていました。たとえば、取材で出会ったばかりの有識者先生や会社幹部が、自分の名刺の裏に、万年筆でさらさらさらっと一文したためてくれます。
――岡村君をご紹介します。おっちょこちょいですが、がんばり屋です。おもしろい話を聞かせてやってください。
 などと書いてありました。正式の紹介状としてのリスクはとらない。まあ気のいい兄ちゃんだから、よかったら利用してみてよ――程度のレベルだったと思います。それでも若手にはありがたいものでした。
 昭和の時代、日本全国で毎日、名刺の裏の紹介状が大量に作成され、交換されていました。名刺文化は今も現役ですが、名刺の裏の紹介状は近年見かけません。なにごとにも責任が発生するご時世、人に人を紹介をするおせっかい人間がいなくなったのでしょうか。
 平成の浪人たちよ、七内大先輩は二十年も耐え抜きました。しかも、詳しくは書きませんが、最後の最後には望外の幸せをつかみます。あきらめるのはまだまだ早い。