転職のフォークロア(7)素浪人を温存する社会

 前回は藤沢周平「証拠人」のエピソードを紹介しました。主人公の素浪人佐分利七内は、物語のラストで帰農します。刀をクワに持ち替えて、新たな人生に立ち向かっていきます。
 七内さんのように、さまざまな事情から、禄を失い、浪人を経て農民へ転職した御仁がたくさんいたと思われます。少しおさらいになりますが、七内さんは名将大谷吉継の元家臣。関ヶ原の合戦の敗北で、大谷家が消滅したため、20年あまりの浪人生活を余儀なくされました。この20年の間に、大坂の陣がありました。七内さんは参戦しませんでしたが、豊臣方には関ヶ原で敗れた元西軍の浪人たちが押し寄せ、巨大な大坂場内があふれかえったとされています。どんな連中がどの程度集まり、何をしたのか。調査をした本が確かあったと思いますので、いずれ改めてリポートさせていただきます。
 大坂の陣は豊臣方の惨敗に終わるわけですから、関ヶ原の合戦大坂の陣で二連敗を喫した人たちが、数万人単位でいたことになります。がっくり、頭を抱えるしかありません。この人たちはどこへ行ったのでしょうか。連敗浪人たちのその後を追跡するだけで、立派な学問になると思います。
 新たな仕官が叶わなければ、浪人を続ける、商人になる、七内さんのように帰農する。三パターンぐらいが想定されます。それから敗戦後も武士の身分は安堵されたものの、占領軍より格下の郷士の扱いを、甘受しなければいけない人たちがいました。
 浪人、元武士の商人や農民、それから武士であっても格下郷士。こんな人たち、あるいはこんな人たちを先祖に持つ人たちが、身近なところに結構いたのではないでしょうか。厳密で容赦のない階級社会である一方、このようにやや逸脱した人たちがうろうろする時代がずっと続いていたことになります。
 で、明治維新のとき、この手の人たちが一斉に蜂起し、それぞれに印象深い仕事をします。新撰組は農民と浪人の混成部隊です。官軍サイドも龍馬のようなノンキャリア郷士が、賢いはずのキャリア武士たちを、言葉巧みにたぶらかして動かしてしまう。そして、革命派が担いだのが、もっとも古臭い権威。武家社会が続いても、ずっと捨て扶持程度で温存されてきた「朝廷」でした。どう考えても維新そのものが大いなる矛盾の産物ですね。
 要するに、ぼんやりした、もやもやした存在で、はっきり分からない人たちが右往左往しながら、世の中を転がしていく。日本社会の特質のひとつだと思います。
 浪人、帰農武士、郷士、それから朝廷。日本社会は当分の間はあまり利用価値がないと思われるものを、捨てずに温存するのが得意なんですね。この決断できない融通無碍、優柔不断を欠点ではなく、長所として再評価してみてはいかがでしょうか。江戸時代の社会は、社会全体に余裕はなくても、浪人を排除せずに温存していました。
 翻って現代、いわゆる失業者は平成の素浪人に相当します。新規雇用の拡大が困難な以上、この際、働いている人と働いていない人という二元論の分け方はやめましょう。正式な仕事に就いていなくても、あれやこれやの内職をして、食いつないでいける仕組みを作る。そうした新しい道を探ってみてもいいのではないでしょうか。
 ありていにいえば、素浪人のまま生きるという選択肢を認めるかです。至らないところがたくさんある私も、社会に温存されてきたからこそ、こうしてきょうまで生きてこられたのかもしれません。