転職のフォークロア(9)腰だめのある指定管理幕府

 徳川政権はとても日本的な政権でした。
 自ら神をめざした信長や関白まで昇り詰めた秀吉は幕府を開きませんでしたが、家康は幕府という鎌倉以来の古い統治システムを再活用しました。艱難辛苦に耐え、ようやく天下を手に入れたのに、わざわざ朝廷から征夷大将軍に任命してもらい、政治を預かるかたちをとりました。朝廷の権威を借りた方が得策と考えたようです。
 最近の言葉でいえば、指定管理者になった。
 朝廷側にも異存はない。本来政治を行うべきなのに、もはやそんな能力も意欲も失っていたからです。だから家康の「ご安心あれ。わが社にすべて任せれば大丈夫」の営業トークは、渡りに舟だったかもしれない。気苦労の多い政治の現場を、徳川幕府に丸投げしてしまう。
 幕府が指定管理者である以上、各藩に対して遠慮が働く。武家諸法度などで厳重に管理する体制は整えたものの、各藩の政治には口を出さない。各藩はそれぞれ自分たちの国内法に則り、政治を転がしていく。
 藩の数270。さながら群雄割拠ではあるが、なかなか統一国家ができなかったイタリアの都市国家とは異なり、何が何でも独立をという理想の旗は蔵にしまいこんだ。戦乱疲れもあって、今さら戦国リーグの二回戦は堪忍してほしい。ちゃんと朝廷や幕府に恭順の意を示す。できあがったのが、指定管理封建制連合国家という矛盾に満ちたかたちです。
 丸投げ発注者の朝廷、自ら指定管理者に名乗り出た徳川幕府、幕府の管理下に置かれながらも自治機能を持つ全国270藩。封建制としてはまことにゆるいシステムである幕藩体制は、どこかで破たんが起きそうなものなのに、由井正雪の乱を最後に、目立った混乱は起きない。
 そうして、指定管理者制度はいつしか随意契約に変わり、徳川の一社独占体制で百年、二百年と続く。しかし、やがて、規制緩和を求める外資系企業の挑発もあり、随意契約の一社独占はおかしい、わが社もコンペに参加させろという機運があちこちで高まっていく。
 明治維新は入札制度の見直しだったともいえます。関ヶ原の天下分け目コンペで敗れた連中がJVを組んで、260年ぶりに勝った。とはいえ、徳川政権が打倒されたのに、徳川家が一大名として、廃藩置県まで温存されるのもおもしろい。関ヶ原の敗北以降、豊臣家が15年間も生きのびたのとよく似ています。
 ゆるい統治と泥臭い自治。お目こぼし的温存と、忘れたころの敗者復活システム。歴史の節目に登場してきたのが、貧乏公家であり、郷士や脱藩浪人の志士であり、御家人株を買って武士に成り上がった家の子勝海舟や、武士よりも武士らしく生きたかった農民・浪人集団新選組であったり。敗者復活と新規参入のカオス的オンパレードです。ここらあたりのゆるくて、鮮明に線引きできない、腰だめのある、ぼんやりしたオペレーションが、日本社会の得意技ではないでしょうか。転職も日本社会のお家芸のひとつです。