仕事の現場(2)「新卒要りませんか」「間に合ってるよ」

 ここからしばらくは昭和の時代、小さなメディアで働いていたころの思い出話を聞いてください。今の若い人にはわからない仕事の仕組みが出てくるかもしれません。
 昭和五十一年四月、私は大学を出て、求人情報誌の一員になりました。第二次オイルショックに伴い、上場会社の三分の一が採用を見送った年度です。いったん採用を決めたものの、四月になっても出社させない「自宅待機」が問題になったのも、このころだと思います。近年の就職氷河期の状況と似通っています。
 大手メディアでは、確か天下の電通も採用中止。朝日新聞と読売新聞の筆記試験日が重なり、私は読売新聞を受けて、あえなくサクラチルとなりました。
 文春や講談社などの主力出版社も超狭き門ですから、狙いは中堅以下のメディア。中堅中小零細、サイズにはこだわらない。なんとか隅っこでいいから、メディアの世界へもぐりこみたいの一念です。
 シュウカツに際し、当時の下宿学生にとって、電話の確保は至難の業。私は大学近くの雀荘に陣取りました。タウンページを広げて、出版社と思しき会社名を見つけては、店内のピンク電話で電話を書けまくりました。雀荘のおばちゃんに電話のカギを借り、電話機の中からバラバラバラと十円玉を引き出して、両替していたのを覚えています。おそらく数十社にアタックしていたのではないでしょうか。
「人事担当の方、お願いします」
「はあ、なんですか」
「新卒要りませんか」
「間に合ってるよ」
 新卒の押し売りです。私の大学は御茶ノ水に本校があり、学校の近くには大小の出版社がひしめいていました。ひと目で新卒と分かるように、高校時代の学生服を再び着込んで、一軒ずつ、飛び込み訪問です。私の大学は当時バンカライメージがあったので、学生服でバンカライメージを利用するというつまらない小芝居でもありました(今となってはバンカラ自体、死語になったでしょうか)。
 そんなにわか小芝居が通じるほど、世間は甘くありません。ほとんどは門前払いですが、中にはおもしろがって、「まあ、お茶でも飲んでけよ」と引きとめてもらえることも。ある経済通信社の幹部は「うちは予定がないけど、あそこの会社は採るんじゃないかなあ」などと、相談に乗ってくれました。チェックのジャケットに蝶ネクタイ。ダンディなスタイルが印象に残りました。
 この話には後日談があります。それから二、三年後、勤め先を辞めて再び職探しを始めたころ、「あの人なら、また何か教えてくれるかも」と思い立ち、再び訪ねてみました。すると、今度は労働組合の幹部が出てきて応対してくれました。
 「わが社は経営不振に陥り、現在、組合管理で再建に取り組んでいる。君が会った人物は責任を取って退任した」
 衝撃の事実です。しかし、この組合幹部氏も、人がいい。
 「これも何かの縁だ。給料もまともに出せないけれど、苦労する気があるなら、うちへ来るか」
 と、誘ってくれました。とはいえ、職場が再建途上で、仕事が建築土木工事の入札情報の取材となると、ガキで根性なしの私には到底不可能。丁重にお断りして引き揚げました。
 それにしても、昭和の時代、働き手のこころにゆとりが感じられました。押し売りやアポなし訪問など、若い人間の身勝手なふるまいを、角を立てずに受け止めてくれる度量がありました。昭和と平成の仕事の現場、どこが違い、どこが変わらないのか。以下、次回へ――。