仕事の現場(5)××新聞さ〜ん、大組みで〜す!

 私が新聞業界に入った昭和50年代、活版印刷の時代でした。
 文選工と呼ばれる人たちが、鉛でできた活字をひと文字ずつ拾って、ひと文字ずつ一行ずつ、文章を組み立てていく。小組みとよばれる工程です。
 当時の新聞は一行十五字組み。三十行の小さな記事でも、四百五十の活字を拾うことになります。しかも、活字は小さいうえに、判子のように文字を裏返した状態で鋳造してあるので、素人にはまず読めません。
 やや奥に倒れかけた書棚のような棚が背中合わせに設置され、どの棚にも活字がびっしり並ぶ。それはそれは壮観な構図でした。
 文選工の皆さんは、ずっと立ったままの姿勢で活字を拾っていきます。左手に細長い小箱を握っていたでしょうか。右手で拾った活字を、小箱の中に植え込むように置いていく。拾う活字の手本となる原稿はどのようにしていたのか、正確な記憶は残っていません。
 小箱と一緒に左手に握り、ときおり手元の原稿をのぞいて確認しながら、活字を拾っていたような気がします。それとも、活字の並ぶ台のどこかに貼っていたのか。多分前者だと思います。原稿を縦に細長く四つ折りぐらいにして、五、六行分だけをすばやく読めるようにしていたような気がします。
 必要な活字はあちこちに点在していますから、軽快なフットワークが要求されます。
「腰が肝心。腰を使ってリズムをとるんだよ」
 文選工のひとりが解説してくれました。下半身で軽くヒップホップのステップを踏むようにして、右手で活字を拾い、左てのひらの小箱に移すという所作を、流れるような動きで続けていました。「仕事の現場」というステージだけで演じられていた、美しいパフォーマンスです。
 百行を超える大原稿もあります。そんな原稿は文選工が活字を拾いやすい長さになるよう、三つぐらいに分割します。この分割作業は文選工ではなく、工程を管理する役職者の務めです。その際、記事がバラバラになったり、行方不明にならないよう、「捨て見出し」を付けます。
 本来の見出しとは違い、捨て見出しに意味はありません。漢字ひと文字が多かったでしょうか。春の一、二、三止めという具合です。
 で、小組みされた活字の表面に、ローラーでインクを付けたものが、小ゲラと呼ばれました。編集サイドは、まずこの小ゲラで校正をします。春の一から順番に上がってくればいいのですが、工場では複数の新聞の製作作業が同時並行で進んでいますので、多少のタイムラグが発生します。春の一、三止めは手元にあるのに、春の二が見当たらない……。
「春の二、そちらに紛れ込んでいませんか」
「おまえ嫌われてるから、後回しにされてるんじゃねえか」
 先輩とそんなやりとりを交わしながら、気を揉んだものです。
 私が最初にかかわった新聞は、デパート業界の専門紙でした。大判四ページ建ての週刊新聞で、記者は東京で四人、大阪でひとりの計五人。東京の四人が一面ずつ担当しながら、取材と、新聞業界で「整理」と呼ぶ紙面レイアウトをこなしていました。
 毎週四日間は取材と原稿作成に当てる。残りの半日で紙面を整理し、一日半は製作を依頼しているA印刷所へ出張校正に出掛け、無事「降版」に持ち込んで引き揚げるという流れでした。
 大阪の業界紙では、編集記者が営業を兼ねるケースが多いようですが、私の職場では編集と広告営業が明確に分かれており、駆け出しの記者でも取材に専念できる体制になっていたことは、今から思えばとても恵まれていました。
 印刷所は新橋にありました。大衆紙の内外タイムズが陣取り、毎日刷っていました。サファリ・ルック姿の賢そうな美人記者を見かけるたびに、かっこええなあと憧れておりました。いつもは一版しか作らないのに、プレスリーが死んだとき、急きょ差し替えて、二版目を刷ったのを、よく覚えています。そのころ新宿伊勢丹近くの映画館で、「プレスリー・オン・ステージ」とかのドキュメント映画を立ち見で観たのも、このブログを書いているうちに思い出しました。
 新聞系印刷所の主役は輪転機。建物の地階か、下の階に輪転機が設置され、輪転機を中心に部屋の配置が決まっていきます。A社でも、上のフロアに広い出張校正室が設けられ、下のフロアからベルトコンベアで運ばれてくるゲラをチェックするというシステムになっていました。
 出張校正室千客万来。剃り跡の青々とした坊主頭の集団は、ある宗派の機関紙のお坊さん編集者たちです。
 学生時代の先輩にばったり会ったこともあります。動きの鈍かった私からみると、軽やかにノンセクト系の活動家的な動きをしていた人物でしたが、名刺交換をすると、びっくり。地方にあるよもやの国策会社に就職し、広報部員として広報紙の編集をなりわいとしていました。「いちご白書をもう一度」の髪を切った主人公のように、「長男だから郷里に帰る」という前近代的な桎梏を前にして、さまざまな悲喜劇が演じられたものです。物思いに耽っていると、館内放送が響いてきました。
 ――××新聞さ〜ん、大組みで〜す!
 呼ばれました。いよいよ、大組みです。気合を入れて、工場へ降りていきましょう。