仕事の現場(7)最後は松ヤニの出番

 出張校正室では、各紙の記者が数名ずつ固まって、あちこちで店を広げています。
 業界紙、機関紙、広報紙。少部数で読者も限定され、世間では知られていない新聞ばかりです。いつもは日の当たらぬ地味な仕事にうんざりし、不機嫌で口も重たい連中が、なぜか冗談を言い合ってはしゃいでいる。出張校正室には、メディアの周縁部に出現した、かりそめの祝祭空間の趣があり、気分を高揚させてくれました。偶然隣り合わせただけの名も知らぬ同業者に、無言の連帯感のようなものを感じる。平たく言えば、お互いにマイナー・グループだけど、まあまあぼちぼちやりましょうやといったところでしょうか。
 夕方になると、各紙が校正を終えて続々と降版をめざします。工場は錯綜し忙しくなります。「これで間違いありません」という責了マークをつけて降ろした大ゲラに、校正の見逃しを発見したとしても、なかなか直してもらえません。そんなときには記者が自分で活字を探してきて、大組みの人に差し替えてもらいます。
 ところが、このひと文字探すのが、けっこうむずかしい。前回書きましたが、活字は小さいうえ、鏡の世界のように左右がひっくり返っています。文選工にじゃまじゃまなどと邪険にされながらも、ようやく発見。たったひと文字の活字を拝み持ちして、大組み担当者の傍らに立ち、声をかけてくれるのを、切ない思いで待ったものでした。
 皇室報道に欠かせない「陛下」という文字は、「階下」と間違えやすいのですが、皇室報道に誤りはゆるされません。そこで、活字を作成する段階から、「陛下」は特別に二文字ワンセットで鋳造してあると、これはのちに大阪の印刷所で聞いた話です。
 当時の製作現場では凸版が活躍していました。「文字白抜き・斜体袋文字影付き・地紋渦巻き」などの大見出しは、いったん写植で作成されたのち、金属の板で現れてきました。この金属の板を凸版と呼んでいました。写真も表面が加工された金属の板で、これも凸版。広告も広告原寸大の凸版でできていました。
 広告凸版は使い回しされるケースがあり、よその業界紙へ「次はうちで使いますので」と、受け取りに行ったことがありました。使い回しをする際、同じ五段広告でも、新聞によっておさまる寸法が微妙に異なることがあります。で、広告凸版が一、二ミリ大きいことが降版直前に判明した場合、工場のベテランが、足踏み方式の裁断機で、凸版のへりを慎重に切り落としたものです。
 降版する際、記事の中にぽっかり空いた凸版台という空間スペースに、大見出しや写真を並べたうえ、広告整理の責任者が、突き出し広告、記事中広告、記事下広告などを指差し確認しながら、所定の位置に配置していきました。新聞の神様に捧げる最後の厳粛なる儀式のようでした。
 このとき、神の依り代(よりしろ)の役割を演じるのが、松ヤニでした。茶色くて四角い、小さな石鹸のような形状です。固いものの、わずかに粘り気がある。凸版の裏側に、松ヤニをこすりつけると、ねばっこいのりのように、凸版と凸版台をしっかり接着させます。ぬちゃぬちゃという感じですが、かすかながら松ヤニのさわやかな匂いがしたと思います。
 出張校正で毎週、新橋に出向く楽しみがありました。新橋駅前にある札幌ラーメン屋で、大盛りラーメンを食うことでした。当時は札幌ラーメンが東京進出を果たし、あちこちで暖簾を揚げ始めていたころ。モヤシが山盛りの味噌ラーメンに、文字通りバタくさい塩バターラーメン。食べ歩きやB級グルメなんてしゃれた言葉は、まだ編み出されていない。うめえなあと感心しながら、ひたすら食らいついたものでした。