仕事の現場(8)「頑固一徹」という名の文化装置

 無口で頑固。人間嫌いで融通が利かない。職人気質の人間たちと、どのように付き合えばいいのか。ふた通りあるように思われます。
 ひとつは「従順なる太鼓持ち」タイプ。ひたすら下手(したで)に出て、職人さんを持ちあげて機嫌良く仕事をしてもらう。活字を拝み持ちしていた私が選択した方法でした。
 もうひとつは「毒舌落語家」タイプ。たとえ相手が年上でも、ため口を聞き、高飛車に出るふりをして、ホンネの人間関係を構築する。私の新聞社でも、この手のタイプの上司がいました。
 べらんめえ調で「職人風情が、ナマ(生意気)ゆうんじゃねえよ」「最近広告段数が減っているけど、おたくの会社、あぶないんじゃないかい」「余計なお世話だ」などと、聞いててハラハラするような展開になる。その割に、休みになると、当人同士で東京湾に舟を浮かべ、仲良くハゼ釣りの竿を垂れている。うらやましい人間関係でした。
 このブログを書いてて気づいたことがあります。こちらが太鼓持ちや落語家を演じるように、向こうの職人さんたちも、「頑固一徹」を演じていたのではないか。
 わが方は週刊新聞ですから、毎週いちどだけ、彼らと向き合えばいい。しかし、その印刷所は数十社の新聞印刷を引き受けていたので、彼らは毎日入れ替わりに現れる種々雑多な人間たちと顔を合わせねばならない。しかも、ビジネスとしては、数十社はいずれも大切な顧客ということになるので、それなりの対応はしなければならない。
 では、「それなりの対応」とは何なのか。こうしたもろもろのしがらみを排除して、新聞製作の本来業務に集中専念するために考案されたのが、「頑固一徹」という名の文化装置だったのではないでしょうか。
 頑固一徹ということにしておけばいい。特定の現場だけではなく、日本のものづくりの現場で広く活用されてきた文化装置でしょう。
 
 昭和三十年代から四十年代、私がものごころついたころ、少年漫画誌や『平凡』『明星』に、「さよなら赤面症/これであなたも人前で話せます」などと、赤面症対策をうたう広告が掲載されていました。今では「赤面症」という言葉自体見かけなくなりましたが、こうした広告が各誌に掲載されるほどですから、赤面症で悩むシャイな若者たちがたくさんいたのでしょう。赤面そのものより、赤面していると気づかれるのが恥ずかしい。情けない。
 <ふるさとの訛(なま)りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし>(寺山修司
 都会へ出ていこうとする地方出身者には、なまりの劣等感と、なまりを超克しようとするあざとい自分への責めという問題が新たにのしかかり、さらに口を重くしがちでした。社会へ巣立つ彼らを、悩ましき赤面恐怖症から解放してくれたのが、頑固一徹主義でした。 
 頑固一徹でいいわけですから、しゃべんなくていい。しゃべんなきゃ、なまりもばれない。シャイで口下手な人間も、そのまま働けます。口下手を直せとは強要されない。口下手を直すより、もっと腕を磨け。
 ――そそそそう、それでいいんだよ、いまのコツを忘れんじゃねえぞ。
 シャイで口下手という短所を直そうといじりまくって、若い人材をつぶしてしまうこともない。初めは使いものにならなくとも、気長に経験を積ませて、技術の習得鍛錬に全力を注ぐ。親方が世間からの防波堤になって、職人が技術に専念できれは、ああしたい、こうもしてみたい。意欲も工夫も湧いてくる。そうした技術最優先の戦略的文化装置が、ものづくりを支えるひとつの要素になっていたと思います。

 せっかくですから、もう少し踏み込んでみましょう。このシャイで口下手というのは、必ずしも短所や欠点には当たらないと思います。現在の学生諸君は就職を見据え、早くから自分をきちんと表現できる提案能力を習得するよう指導を受けていると思います。
 しかし、いざ社会に出てみると、シャイで口下手なのに、すごい営業マンがいることに、すぐ気づくはずです。丁々発止のはずの営業ですら、シャイで口下手でも通用するらしい。
 私の周囲にもひとりいました。大阪の印刷会社の営業マンです。彼が話しているのをほとんど見かけたことがない。たまに話しても、相手だけに聞こえるよう、ぼそぼそしゃべるだけだから目立たない。しかし、取引先の信頼感は絶大です。
「困った時、彼に頼んだら大丈夫」
 彼は甲子園の土を踏んだ高校球児だったとのことですが(この手の武勇伝は本人が自慢しなくても、まわりから自然に伝わってくる)、社会に出てからも、緊急事態のストッパーというもっとも難しい職務をこなせる人間として、最大限の評価を得ていました。私自身、この寡黙なストッパーに、手痛いミスをカバーしてもらったことがあります。

 漫才立国・大阪。私が暮らす大阪では、確かに天才的なコミュニケーション能力を見せつける人たちがたくさんいます。
 商売に関しては、近江商人の「三方良し」の精神を受け継ぎ、自分の利益だけに執着しない。相手の意向をうまく引き出し、相手の顔を立てながら、互いに納得できる落としどころに誘い込む。その一連のやり取りさえも、相手と楽しむ。
 商談は外交に通じます。ややこしい利害が複雑に絡む国際外交も、「全部大阪人に任せたらよろしいがな」という外務省大阪誘致構想が、公然とささやかれたりしています。
 先日、団地のベランダでふとんを干していたら、よく通る女児の声が、下から駆けのぼってきました。
 ――ゆうてる間に、とられるで!
  声の主は小学校三年生ぐらい。中庭のジャングルジムで年少者と遊びながら、話のテーマこそ分かりませんが、「人間の世界は、一瞬にして変わってしまう。つねに油断してはいけない」と、注意を促す教育的指導を行っているらしい。
 彼女には「ゆうてる間」に発生する事象が、スローモーションのようによく見え予測できるのでしょう。ほんのわずかな時間帯で生成発展する劇的変化を見逃さない観察力や表現力、反射能力などが、すでに幼い彼女に備わり、長じて大阪人の余人をもって代えがたいコミニュケーション能力へ収斂されていくわけです。

 それでも大阪人の何割かは、シャイで口下手でしょう。二割か三割。ひよっとしたら半数近いかもしれません。
 せっかくですから、世界へ踏み出してみましょう。
 同じように「はっきり自己主張する欧米人」や「陽気なラテン系」の人たちにも、シャイで口下手な人たちが大勢いるはずです。ハンバーガーひとつ頼むときにも、「困ったなあ」と思いつつ、あの、そのと詰まりながら、懸命に注文しているのではないでしょうか。
 頑固一徹が日本社会固有ではなく、世界のものづくりの現場に点在していることも考えられます。そうなれば、頑固一徹方式は、立派なクローバル・スタンダードということになる。本当はシャイで口下手な人たちが、目に見えないところで通じ合い、世界を動かしているのかもしれません。
 「口八丁手八丁」とはいいますが、ものづくりも営業も、「口べた手八丁」でいいのではないでしょうか。