仕事の現場(10)「さあさ、帰りましょ、帰りましょ!」

 週休二日が当たり前になって久しい。しかし、昭和五十年代前半、私が勤めていた業界新聞社では、休みはまだ日曜日だけでした。
 ただし、土曜日の勤務は、午後三時まで。いつもより二時間ほど早く終わるだけなのに、その日の社内は、朝からのんびりムード。ちょこっとかたづけものをした後、お昼になると、編集も営業も早々に出掛けて、直帰の態勢へ持ち込んでいました。
 たまに午後から居残って、原稿書きでもしていると、今度は早く切り上げるよう、催促されます。
 創業者の死去後、創業者の奥さんが経理担当重役として毎日出勤していました。デパートの専門紙社長夫人にふさわしい上品な方でしたが、中小企業らしく、最後にカギをかけて帰る役割を、ずっと演じていました。
 で、土曜日はせっかく午後三時で帰れるのに、社員が残業でもしようものなら、勝手に引きあげるわけにはいかない。だから、午後からは「みんな仕事をしちゃだめよ」モードを匂わせる。
 三時直前になると、わざとカギをチャラチャラ鳴らしながら、私の古びた木造の机に近づいてきます。そして唄うようにして、
「岡村さん、さあさ、帰りましょ。仕事なんかしないで、帰りましょ!」
 一時期流行った、ルンルン気分というやつです。心浮き立つ買い物や観劇のご予定でもあったのでしょうか。西島三重子のヒット曲でおなじみの池上線で、毎日通勤しておられました。
 わずか二時間でも、早帰りがたまらなくうれしい。日本人と日本社会が、気恥ずかしいほど健気だった時代のお話です。