仕事の現場(11)機械油の匂い

 最近、機械部品メーカーA社へ、取材でおじゃました際、懐かしい匂いと再会しました。
 機械油の匂いです。亡くなった父親の匂いでもありました。
 父は富山の代表的メーカーの一角であるB社に勤めていました。偶然ながらA社とB社は、ある機械部品分野で長らくライバル関係にあり、互いにシノギを削ってきました。
 とはいえ、私の父はものづくりに携わるエンジニアではありません。外を飛び回る営業マンでもなかった。円滑な生産をバックアップする工場総務畑を、主に歩いていました。
 自転車で十分たらずの会社から帰宅するのは、いつも暗くなってから。八時ごろだったでしょうか。明るいうちには帰らない。そのため、私は中学生ぐらいまで、日本のサラリーマンの勤務時間は夜八時ごろまでと思い込んでいました。
 父は旧制商業中学出のノンキャリアながら、末端の管理職を務めていましたから、おそらく非組合員だったでしょう。残業代のつかないサービス残業に明け暮れていたのではないでしょうか。
 玄関で父の帰ってきた気配がします。すると、まもなく機械油の匂いとともに、お茶の間に入ってきました。
 父は機械にさわらない。にもかかわらず、工場の一隅にある事務室にいるだけで、機械油が体にしみついてしまっていました。「一所懸命」のすごさです。
 B社の周囲には社宅街が広がっていました。私の父と同じように、たくさんの男たちが毎晩、機械油の匂いをさせながら、わが家に帰り、「宿題したか」などとわが子の頭をなで回し、「お父ちゃん、臭い」と、逃げられたりしていたことでしょう。
 社宅街はB社の企業城下町。B社の社名をつけた町名のまちなみが一丁目から十二丁目まで続いています。私は社宅で生まれ、六歳ごろ、社宅街と道路一本はさんだ場所に、父が建てたマイホームへ移りました。
 町内対抗の住民運動会が開かれていました。私の住まいは十二丁目。町内ごとに異なる色の鉢巻を締めて戦うことになりますが、わが十二丁目の鉢巻の色は「こげ茶色」。赤でも青でも黄色でもない、こげ茶色です。町内が十二もあるからしようがないのでしょうが、地味すぎて、力が出ません。子ども心にも「もうちょっとなんとかならんものか」と思っていました。
 社宅街に包まれるようにしてB社の付属工業高校があります。B社の将来を担うエンジニアを養成しています。野球の強豪校で、なかなか甲子園には届きませんが、白球を追いかける理系球児たちに、ご近所さんたちが「今年こそ」と声援を送っています。
 職場の匂い、工場総務、社宅、残業、企業城下町、運動会、人材育成。いずれまた機会を見つけながら論じてみたいと思います。