ご神仏の仕事学(5)江戸っ子町奉行も「感動した!」

 聖徳太子ゆかりの四天王寺。「大阪の仏壇」とも呼ばれ、広く大阪人の崇拝を集めています。伝統行事のひとつが「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽(ぶがく)大法要」。舞楽は古代、仏教とともに大陸から仏教法会の式楽として伝わった伎楽(ぎがく)を受け継ぐ貴重な伝統芸能で、国の重要無形文化財に指定されています。以前から気にはなっていたのですが、今年四月、カメラを提げて初めて見学に出掛けました。
 陽光きらめく石舞台で行われる野外パフォーマンスで、大阪らしく無料で公開されています。朱や緑などの鮮やかな色合いの衣装に身を包んだ楽人たちが次々と登場し、さまざまな舞いを披露してくれるのですが、残念ながら門外漢には、意味合いや見どころなどは、皆目分かりません。石舞台を幾重にも取り組んだ観衆たちも、古代人たちの予想外の派手な色彩感覚に、目を奪われているようでした。
 江戸時代、大坂に赴任してくる大坂城代町奉行たちが、聖霊会を楽しみにしていたことが史料で分かっています。ある町奉行は、お寺側が提供した一汁五菜の料理と酒に舌鼓を打ちながら、舞楽を堪能したと、日誌に書き残しています。VIP席が用意されていたのでしょうか。ベテラン奉行は「(舞楽が)我が国に存するはまさに是(これ)、千古の大快事」と、国家論まで援用し、最大限の賛辞で、舞楽の感動を日記に記していました。
 教養人である高級官僚たちが、なぜにこれほどまで舞楽にほれ込んでいたのでしょうか。それは江戸には能狂言はあっても、舞楽は上方へ出向かなければ、観られなかったからです。大坂赴任が決まった瞬間から、舞いあがったのは官僚当人だけではありません。官僚の母や妻たちも、「早く観たいわ」と、舞楽観賞を心待ちにしていました。
 大阪中心部を南北を貫く谷町筋をはさんで、四天王寺の西側の一隅を、「伶人町(れいにんちょう)」といいます。伶人とは楽人を指しており、四天王寺舞楽を演じる人たちが住んでいたとされています。ピアニスト町、ギタリスト町のようなものです。芸術家の職種にちなむ町名は、世界的にも珍しいのではないでしょうか。
 いささか大阪の自慢になりますが、往時の大坂が得意なのは、そろばん勘定だけではなかった。文化面でも、なかなか捨てたもんやなかったことが、多少なりとも分かっていただけると思います。