ストレス解消法(1)答えはひとつではない

 原稿書きの仕事で、ストレス解消法について、少し調べました。ストレスの原因を「ストレッサー」と呼び、ストレッサーと向き合う考えや振る舞い方を、「ストレスコーピング」といいます。
 臨床心理やカウンセリングの世界では、次のようなエピソードがよく引用されるそうです。

  <ある鬼上司が、部下のAを毎日、仕事の出来が悪いと怒鳴り散らした。すると、Aはなんともなかったものの、Aのトイメンに座っている部下のBが、ストレスから体調を壊してしまった……>

 Aはストレスコーピングを実施していたため、ストレスが深刻化することから逃れられました。一方、Bは自身が責められているわけではないにもかかかわず、次は上司の怒りが自分に向けられるのではないかとおびえ、ストレスに陥ってしまったわけです。この逸話はストレスコーピングの有効性と、ストレスのこわさの表裏両面を物語っています。

 心理学の門外漢である私が、当ブログでこの問題にふれようと思ったきっかけは、ストレスコーピングの意外性でした。ストレッサーへの対処法は、ひとつではない。環境や個人の性格、タイミングなどが違えば、答えはそのつど違ってきます。そのうえで、私たちが日常的に少々後ろめたさを感じながら繰り返している振る舞いも、理論的にストレスコーピングに組み込まれているという「うれしい誤算」でした。以下、私なりのストレスコーピング理論です。

 ストレスコーピングは、大きく五つに分けられます。
 「問題とがっぶり四つに取り組む」「問題から逃げる」「他人にしゃべってしまう」「あっさりあきらめる」「殻に閉じこもり鎖国する」。
 五つの方法のうち、ストレッサーとまともに対決するのは、最初の「がっぶり四つに取り組む」だけです。職場にストレッサーが存在する場合、ひとりでは立ち向かわない。信頼できる第三者(上司や労働組合や社外の専門家)などに協力を依頼。必要に応じて、会社側に改善を求めていく。つまり、ストレッサーを根っこから断ち切るという正攻法です。
 この正攻法以外の四つは、濃淡こそあれ、ストレッサーとまともに向き合うことを避けるという方法です。要するに、勝ち目のない相手とは、まともに相撲をとらない、できれば対戦しないで済むように仕向けるという魂胆です。

 たとえば、なんでもかんでも問題を抱え込んでしまう心配性のひとは、「俺が悪いんじゃない」と居直ったり、責任転嫁をしてもいい。居直ってもいいんです。
 飲食、旅行、買い物、おしゃべり、浪費無駄遣い。いつもはうしろめたく感じる気休め気晴らしも、効果があるそうです。オフタイムを充実させれば、仕事のストレスの比率が軽減するという理屈です。
 
 やばい、ブチキレそう。そんな予兆を感じたら、死んだふりをするのもいい。早まった行動をとらないよう、殻にとじこもり、鎖国状態に自分を置いて、内なる嵐がおさまるのをひたすら待つ。「感情や行動を抑制する」というコーピング理論です。

 ある天才肌の科学者が「私はストレスを感じない」と断言しています。その理由は「自分にできることと、できないことを、分けて考える。そしてできないことは、キッパリあきらめる」というあきらめコーピングでした。「問題を見送る」「あきらめる」と、すでに山積みされた問題を必要以上に増やさない、軽減できるという効果があるそうです。
 「時の流れに身を任せる」。流行り唄の文句風というか、浮世離れした仙人風の無責任な身の処し方も、ときに許されます。

 ――岡村さん、逃げるんですか!
 ――岡村君、ここで投げ出したら、えらい迷惑やで。
  なんど言われたことか。そのうちの何回かにいちどかは、実際に逃亡してしまった恥多き人生ですが、私の卑怯な「逃げの小五郎」作戦も、私なりのストレスコーピングの一種だったと、このたび自己診断できた次第です。「敵前逃亡」を回避して残留していたら、いつもおのれの能力の限界をわきまえずにのめりこむ私は、あっけなくつぶれ、大問題を引き起こしていたかもしれません。

 真正面、真っ向から、全身全霊で、立ち向かう。
 日本社会、ビジネス社会では、「課題」を仮想敵国に設定して、正面突破戦略を正義とする美学が成立しています。半面、果敢に正面突破を図るも、武運つたなく、多くは玉砕して散ってしまうのも、また事実です。
 みもふたもない表現すると、どんなに恥をかこうが後ろ指をさされようが、やむを得ない。「敵前逃亡」「ええ加減なやつ」「卑怯者」「無責任なやつ」。汚名返上、名誉挽回も、ままならないかもしれない。
 ――それでも、なにがあっても、あらゆる方法を駆使して生き残れ!
これが私たちに与えられた唯一のミッションかもしれない、というのが、本日の結論です。
 よれよれになった経験のある人間には、他人の痛みが少しは分かります。