ストレス解消法(3)立ち呑みカウンセリングの東西比較

●東京は「孤独を楽しむ」沈思黙考酒
 私がフィールドワークをしている大阪では、残念ながら経済的な地盤沈下に歯止めがかかりません。そんな中、店舗数が増えている数少ない業種のひとつと感じているのが、立ち呑み屋です。まちをふらついていると、閉店した店舗が立ち呑み屋に早変わりし、新しい暖簾をかけ直すというケースが目立ちます。
 店主側にとっては、他の業種と比べて、コスト面ノウハウ面で比較的簡便にオープンし、投下資本を早めに回収できる利点があります。一方、たたき上げの飲み手としては、可処分所得の長期低迷傾向に苦しみながらも、「帰りに一杯」の伝統を死守するには、立ち呑み屋は最後の砦になってくれる。つまり、双方にとって、利害が一致する頼もしいパートナーです。
 この立ち呑み文化を、時間軸も変えて、思い切りデフォルメして東西比較をすると、次のような展開になります。
 東京の立ち呑み屋は「孤独の楽しむ」ために存在します。
 いまから四十年も前の東京。京王線高井戸駅前にある学生アパートの三畳間に、私は下宿していました。いつものように授業に出ることなく、長嶋の引退試合を、チャンネル方式の小さなテレビで観ていたのも、この三畳間でした。くれなずむ後楽園球場を憂愁が包み込む。アンチ巨人ながら、長嶋の美学だけは例外的に認めるという、昭和の平凡な学生のひとりでした。
 駅前にある立ち呑み屋はとてもモダンなつくりでした。酒もつまみも、基本百円。スーパーのようなセルフサービス方式で、そこそこ広い店内に、店員はおばちゃんがたったひとり。ガラスケースの中で冷えた板わさやら冷奴やらをチョイスして、おばちゃんに差し出すと「二百円」、などとひとことで対応してくれます。
 酒は自販機で。コップを置いて百円玉を投入すると、ぬる燗がぴゅーっと出てくる。確か二級酒と一級酒があって、一級酒の場合、コップが分厚い上げ底になっていて、少量しか入らない。「へええ、よくできてる」と感心したものです。
 で、壁際にテレビが一台設置されていました。大学の教室のように、教壇に相当するテレビに向かって、細長いカウンターが、何重にも平行に並べられていました。客は酒とつまみと入手したら、テレビのある壁に向かい、カウンターの一角に、自分の立ち位置を確保するというかたちになります。
 静かなんです。みんなひとりで呑んでいる。会話はほとんど聞こえてこない。ナイターの実況中継の音がやけに響く。うつむいて文庫本を読んでいるのもいる。みんなひとりになりたくて、やってきた。孤独を楽しみにきた。だからおばちゃん店員も、客に関心を示しません。
 ――ジャイアンツ、ピンチです!
 アンチ巨人派には偏向報道にしか聞こえないアナウンサーの絶叫を聞き流しながら、みんな自分の孤独の世界で、沈思黙考です。

●大阪は「孤独を忘れる」全員参加酒
 一方、平成の大阪の立ち呑み屋。JR大阪環状線などが交差する京橋駅前は、日本一の立ち呑み街です。とある一軒に一歩踏み込むと、わお〜んという大音響に圧倒されます。
 コの字型のカウンターに、客が三十人いたとします。三十人が全員しゃべっている。「聞く」と「しゃべる」という、情報の受発信を同時にこなす。大阪立ち呑み人だけの特殊な才能です。
 この店では、なんびとも「孤独になれません」。ひとりで来ても、ひとりにしてもらえない。文庫本を読んでいる人間なんて、いちども見かけたことがありません。読もうとしても読めない。店のペースに巻き込まれ、あちらこちらの話題に引き込まれていく。店全体が一個のカオス、どろどろの煮込み状態になります。
 ただし、時間帯や客の顔ぶれによっては、場が盛り上がりに欠ける瞬間がやってくる。そんなときにはカウンターの中にいる店長が、ひと仕掛けします。クイズを出す。しかも、政治やスポーツ、宗教など、個人の思想信条にかかわるジャンルは、慎重に外してNG。いわばたわいのないテーマながら、難度の高い質問をぶつけます。
 ――秀吉の天下取りを支えた「賤ケ岳の七本槍」を、全員挙げよ!
 ――ええーっ? 全員?
 ――加藤清正やろ。
 ――福島なんとかも、
 ――そうや、福島正則や。
 ――ほかに、だれがおんねん。
 常連もいちげんさんも、みんなありとあらゆる知識を出し合い、記憶をぶつけ合う。正解へ向けて一致団結、全員参加プロジェクト。目標達成の暁には、さっきまで抱えていたストレスなど吹き飛ぶことでしょう。
 立ち呑み屋はセルフ・カウンセリングルーム。東京は「孤独を楽しむ」ことで、大阪は「孤独を忘れる」ことで、ストレスを和らげる。正反対に見えますが、本来の自分を取り戻すきっかけになるのは同じです。
 前々回ふれたように、ストレスコーピングの答えはひとつではありません。百点満点の正解もないかもしれない。トライ&エラー。あれこれ、いろいろ、自分流を試しながら、ストレスをしのいでいきましょう。