しごと談義(2)選挙取材と喫茶店のママ

●ひとりで乗り込む「注目の選挙区」
 夕刊紙の記者時代、選挙の取材に繰り返し担当しました。
 初陣は昭和61年7月の衆参同日選挙。今回と同様、自民が圧勝しましたが、この七夕開票選挙以来、多くの国政選挙、地方選挙を取材しました。
 取材対象地域は大阪限定。もっともおもしろかったのは、中選挙区時代の衆院選でした。たったひとりの当選者を予測する現在の小選挙区には、おもしろみを感じません。
 私の現職時代を振り返ると、大阪は伝統的に自民、社会の二大政党が選挙に弱い。半面、公明、民社発祥の地であり、共産も単独公認の共産府政を樹立したほど、底力を秘めていました。加えて、大阪人は新しいもん好き。新党ができたら飛びつき、タレント候補の背中を押す。日本一予測しにくい、日本一取材のしがいのある選挙区でした。
 人手が少なく、世論調査にも頼れない夕刊紙の得意パターンは「注目の選挙区」。激戦模様の選挙区を選んで、単身乗り込みます。ひとりで全陣営を回りながら取材を進め、選挙情勢を調べていきます。
 定数が三か四の選挙区に、自民、社会、公明、民社、共産の各候補が勢ぞろい。タレント候補や保守分裂の無所属新人あたりが乱入すると、有力候補が何人も落選する事態になります。
 いかに票読みをするか。秘策はありません。私がとった作戦はきわめてシンプル。各陣営に対して、率直に票読みを聞きました。

●テーブルにノートを広げて
 選挙事務所の応接セット。選挙参謀と向かい合い、「投票率はこれぐらい」と設定して、全体の投票数を割り出す。そのうえで、各候補の票読みをしてもらう。
「うちはこれだけは取れる。B候補も届くだろうが、C候補は厳しい、怖いのはD候補……」
 というようなつぶやきに耳を傾けます。
 大切なのは「見える化」です。「ということはですよ」とか言いながら、テーブルの上にノートを広げ、いま聞いた情報を参考にして、各候補の得票数を書き込んでいく。
 すると、選挙参謀ものぞきこみながら、自身の読みを軌道を修正する。
「いや、D候補はもう少しいくのんと違うか」
「もう五万票取れば、三着に滑り込みますね」
「三万票がD候補に回ると、Eさんはしんどいやろな」
 などと詰めていく。各陣営で同じように票読みを聞いていくわけです。
 こんな各陣営の憶測や思惑だらけの勝手な票読みなんて、あてにならない。科学的根拠がないじゃないか。そう思われるでしょう。確かに、はじめのうちは各陣営の票を足すと、投票率が100%でも足りないということも。
 しかし、二巡、三巡するうちに、段々精度が上がってきます。それぞれが選挙のプロ、日々刻々と最新の情勢が入ってきます。敵対する各陣営の票読みがおおむねひとつの方向へ収斂していくわけです。ただし、各陣営とも、自陣の票に下駄をはかせていることだけは注意しておかねばいけません。

●「油断しはったんとちがいますか」
 選挙戦が始まると、タオル片手に銭湯を回る記者がいました。
風呂屋の玄関先には、どこの陣営のポスターでも並べて貼ってある。しかし、店内には大将本人が支持する候補のポスターしか貼らへん。だから、風呂屋で裸になったら、候補者のほんまの実力が分かるんや」
 記者はそれぞれ自分流の取材方法を編み出していました。
 「裏選対」「裏参謀」が頼もしい存在でした。いつも選挙事務所にはおるけれど、手ぶらでひまそうにしているおじいさん。名刺も持っていないが、かつて数々の選挙を仕切った選挙の達人という人がいてはりました。
 当時、私は若く、「すんません、何にも知りません。教えてください」とすり寄ると、「にいちゃんな、今度の選挙はな」と、いろいろ裏情報を耳打ちしてもらえることがありました。
 ある市議会選挙の翌日、落選議員を訪ねました。「注目の選挙区」で取材した議員のひとりで、割合共感できるところがあるベテラン議員でした。元議員はやや照れ笑いを浮かべて、「コーヒーでも飲もか」と誘って近所の商店街の喫茶店へ。すると、喫茶店のママさんが、議員の顔を見ると、慰めるどころか、猛烈に怒り始めました。
「油断しはったんとちがいますか。もっとがんばらなあかんかったのに。しっかりしてください」
 すまん。センセイは頭をさげるのみ。このセンセイは町の人たちに愛されているなと、少しうらやましく思った次第。センセイは四年後、晴れて返り咲きをはたしました。ママさんの叱咤激励がきいたのかもしませねん。
 冬の市長選挙。あれは午後十時ごろだったでしょうか。当選でわきあがる選挙事務所から少し離れた舗道の一隅に、ホームレスの男性がいました。手には紙コップが。当選を祝うふるまい酒を、うまそうに飲んではりました。しばし、寒さを忘れることができたでしょう。
 日ごろから、いつ選挙が行われ、どこに有力候補の事務所が開設され、いつごろ当選が分かって、祝い酒がふるまわれるか。しっかり勉強しているおっちゃんはすごい。わたしもがんばらなあかんと、改めて気持ちを引き締めたものでした。