しごと談義(3)撮影から紙焼きまで記者の務め

●暗室作業も体で覚えて
 夕刊紙記者時代、選挙取材の続きです。
 「注目の選挙区」の告示日、一面トップで行くことが決まりました。立候補者の「第一声」の写真を、横並びで平等に掲載します。
 立候補者6人に対し、写真部のカメラマンはふたり。写真部員が張りつけない4か所では記者が撮影します。
 第一声は午前十時ごろ。当時はモノクロフィルムの時代で、締切が迫っていますので、撮影したらすぐ編集局へとんぼ帰りし、すばやく現像しなければいけません。撮影から現像、紙焼きまで、すべて記者が責任を持つ。そのため前日までに記者が集められ、写真部長からフィルムの自動現像機の使い方、暗室での紙焼き作業の進め方の講習を受けました。
 前回ブログのスコアブックの講習といい、紙焼きの講習といい、夕刊紙の記者はいろんな講習を受けなやっていけません。
――定着液に付けて、五秒。イチ、ニイ、サン、シイ、ゴォと数えたらいい。
――イチ、ニ、サン、シ、ゴ。
――早すぎる。もうちょっとゆっくり数えなあかんがな。
 理論も理屈もありません。暗がりの中の最低限の動作だけを教わります。

●「はよう演説始めてもらえませんやろか」
 私はとある新人候補を担当。午前十時になっても、若い候補者は演説を始めない。世襲議員のため、子どものころからかわいがってもらっている婦人部のおばちゃんたちと冗談を言い合っている。婦人部の皆さんは白い割烹着姿でしたが、あの選挙コスチュームはいまも現役なのでしょうか。
 すっかりくつろいでいる候補者。しびれを切らした私は候補者に頼み込みました。
――センセイ、締め切りが迫ってますねん。はよう、演説始めてもらえませんやろか。
――よっしゃ、わかった!
候補者はふたつ返事で、吸っていたたばこをテーブルの端にちょんと置いて、街宣カーの屋上にのぼりました。職人が親方に呼ばれて、現場をちょっとだけ離れるときに、吸いかけのたばこを、作業台の端に置いていく。あのしぐさです。
 さあ、ちゃっちゃと撮影して帰ろう。そう思ってカメラを構えた瞬間、異変が起きました。シヤッターがおりません。

●緊急シャッター作動
 わが愛機はニコンF3。私物です。こんなときに限って、十円玉みたいな格好のバッテリーが切れてしまう。焦りながらも、緊急シヤッターがあるのを思い出し、バシャバシャバシャ。撮影現場でのバッテリー切れは初めてだったので、いまだに忘れられません。
 手動式でガシャっとレバーを引くと、たしか80分の一秒でシヤッターが切れる。そんなシステムでした。ちゃんと写っているか自信はない。ひとりだけ写っていなかったらとんでもないことになる。ビビりながら帰社しましたが、紙面は予定通り作ることができました。
 吸いかけタバコを置いて演説に立った若き候補は、この初陣こそ飾れなかったものの、その後当選を重ね、いまも国会議員を続けていらっしゃいます。

●貴重なフィルムは小分けして
 フィルムは高いので、ロール状のフィルムを小分けして使っていました。暗室効果のある黒い袋の中に、何百枚分ものロール状のフィルムをセットした機械と、パトローネを入れておきます。パトローネはフタをとった状態に分解してあります。
 機械からフィルムの耳を引っ張り出し、パトローネの芯に巻きつけます。そして、機械のハンドルを回し、カチカチカチと鳴る回る音を聞きながら、フィルムをパトローネに装填する。
 ハンドルを回す回数で、装填するフィルムの枚数を増減できます。ちょっとした会見の顔写真用なら八枚で十分という判断です。大事な取材の場合だけ、二十四枚や三十六枚にセットします。
 なぜか、このフィルムの小分けが、わたしの役目になっていた時期があります。二十四枚なら、黒い袋の中でハンドルを回しながら、
――イチ、ニイ、サン、シイ……ニジュウヨン。
 と、首を振りながら数えていく。夕刊紙記者はいろいろ数えることがあるもんです。
 で、二十四枚とおぼしき枚数だけフィルムを装填する。この後、パトローネのフタをたぐり寄せ、パトローネにパチンとはめこむ。手元をみないでやる。カンが頼りだから、なかなか難しい。パチンとしっかりはめこまなかったら、撮影時、すきまから光がさしこんで、写真がだいなしになってしまいます。ちょっとした職人芸の世界でした。

●「きょうは長めに頼むわ」
 わたしがハンドルを回し始めると、記者が集まってきます。うまいこと言って、少しでも長めのフィルムを確保しようという魂胆が見え隠れ。ベテランの先輩記者が、揉み手ですり寄り、
――ご苦労さん。きょうの取材はな、連載で何枚も写真使わなあかんねん。長めに頼むわあ。
――わかりました、サービスしときますわ。
 少しは社内融和に貢献できたでしょうか。取材先で、フィルムをカートンごと何十本も持っている大マスコミのカメラマンをみると、違う世界のカメラマンに思えました。
 デジタル時代のいま、わたしがあほほどシャッターを切ってしまうのは、かつてフィルムで苦労した記憶が影響しているのかもしれません。