しごと談義(4)「勧進帳で送りまっせ」
●じゃらじゃら小銭鳴らして一目散
いささか古い、昭和の時代の夕刊紙噺が続いています。本日はまだ電話が貴重品だったころのお話です。
携帯電話のない時代、取材先から情報や原稿を送るには、固定電話を確保する必要がありました。
どこかのまちで立てこもり事件が起きたとしましょう。大手メディアは事件現場の近くで、喫茶店などに交渉し、しばらく店を借り切り、電話付きの前線基地を確保します。
しかし、弱小夕刊紙にはそんな芸当はできません。その場その場にある公衆電話が頼みの綱です。
夕刊紙記者の習い性はふたつ。現場へ向かう際、事前に小銭を用意すること。公衆電話をかける十円玉です。もうひとつが公衆電話の探索。取材現場に到着するまでの道すがら、公衆電話がどこにあるかチェックします。表通りではなく陰に隠れた場所にあり、だれも使いそうもない公衆電話がベスト。
会見なり発表なりが終わったら、公衆電話へ一目散に駆け出します。同じことを考えているやつがいるからです。公衆電話に到着したら、すでに他の記者が話し込んでいたこともありますから、油断はできません。ポケットで小銭をじゃらじゃら鳴らしつつ、電話があいていることを祈りながら、走りに走ったものです。
●「わからへんのなら代わってや」
運よく電話があいていたら、原稿を送ります。予定稿を入稿済みなら、文言の一部修正やコメントの追加などで対応できます。そうでない場合、締め切り直前だと、原稿用紙に下書きを書くひまもありません。頭の中でアドリブで原稿を書いて、読み上げていきます。いやな思い出があります。
入社してまもないころ、本社編集局で電話取りをしていました。出先にいる記者が読み上げる原稿を、書き取る役です。ファクシミリが高価で一般化していない時代です。電話取りは新人の務めです。
電話が鳴って、私が受話器をとりました。向こうは警察担当のベテラン記者でした。
「勧進帳で送りまっせ」
「勧進帳? はあ?」
「ええから、とってや」
「は、はい」
勧進帳とは歌舞伎の演目。逃亡する義経一行が安宅の関で不審者として問い詰められた際、弁慶が何も書いていない巻物を取り出し、さも勧進帳が書いてあるように読み上げて、窮地を脱した逸話に由来しています。書かれていない原稿を空で読み上げていくのが、勧進帳と呼ばれる高等テクニックでした。
「おおさかし」
「大阪市」
「つるみく」
「鶴見区」
「はてなんさんちょうめの」
「ハ、ハナテン?」
「はなてん、わからへんのかいな。だれかに変わってや!」
「すんません…」
はなてんは「放出」。大阪の難解地名のひとつですが、大阪ネイティブではない私にとっては、電話取り失格の烙印を押される鬼門になってしまいました。
●「そやそや、それでいっといて」
電話取りには巧拙が際立ちます。投手と捕手同様、コンビネーションが要求されます。受話器から聞こえてくる原稿を、ボールペンですばやく正確に書き取る。そのうえで、「あ、はい」「あ、はい」と合いの手を入れ、相手が原稿を送りやすいリズムを醸成していかねばなりません。
送り手が原稿に詰まった際、
「と意欲をにじませた、ということですね」
「そやそや、それでいっといて」
と、原稿をリードすることもあります。電話取りが苦手なわたしは、見事な電話取りを、人間国宝の話芸のように聞き惚れたものでした。
しばらくしてポケベルを支給されますが、ポケベルが鳴るのはいやなものでした。ろくな連絡はありません。さぼっているときにかぎって、鳴ってしまう。急いで何かしろという要請が大半ですが、今からどないせいゆうねんと、ふてくされたものです。あのポケベル嫌悪の感覚は、しばらくは携帯電話にも引き継がれたものですが、今では携帯電話は、フリーランスのしごとに大貢献してくれる頼もしい盟友です。