しごと談義(7)タイプライターを、どっこいしょと、どかして

●原稿をタテに書くナゾの民族
 ソウル五輪、たったひとりの取材余話。二回目は異文化との接触について、少しばかり書くことにします。
 1988年当時はワープロの出回り時期で、日本の新聞編集の現場では、ワープロ原稿と手書き原稿が混在していました。ところが、外国の場合、やや違うようでした。プレスセンターのオープンスペース。テーブルの上にズラリとタイプライターが並んでいました。ワープロではない手動式のタイプライターです。百台、二百台、いやもっとあったでしょうか。確かオリベッティだったと思いますが、海外のタイプライター会社が提供したものらしく、記者なら自由に使えました。
 このブログでも書いたように、和文タイプは若いころ使ったことがあるものの、外国のタイプライターなんてしゃれたものを見たのは、初めて。なるほどね、外国の記者は、こうやって日ごろからタイプライターで原稿を執筆する習慣があるのだろうかと、推測しました。当時はワープロとタイプが混在していた時期だったのでしょうか。
 いずれにせよ、単身派遣マイナー記者会所属のわたしが原稿書きをする場合、このタイプライターは無用の長物。じゃまになるので、どっこいしょと持ち上げて、あいてる席にどかして、平らなスペースを確保します。そのうえで、原稿用紙を取り出し、いじいじとペンを進める。
 わざわざタイプライターをどかし、原稿用紙に向かって、原稿を縦に書く――というのは、外国人にとって、けっこう珍しいミステリアスな光景だったのでしょう。チラチラとのぞきこまれる視線を感じたものでした。

●ゴールの瞬間ばかりをどアップで撮影
 コダックの特設サービスセンターに撮影したフィルムを持っていくと、無料で現像してくれました。写真の専門学校生たちがアルバイトで何台もの自現機を動かしていました。しかも、三本現像を頼むと、新たに三本のフィルムをただでくれました。ただで現像してくれ、新品のフィルムまでおまけしてくれる。いつもフィルムの確保に苦労している夕刊紙記者には、夢のような無料サービスシステムでした。 
 さらに自分で印画紙に焼き付けをしたいのなら、暗室を自由に使っていいともいう。こちらも無料で使い放題。暗室をのぞくと、外国人のカメラマンたちが、ミュージカルのワンシーンのように、大声で歌いながら楽しそうに作業をしていました。
 タブロイド紙面ほどのでかい印画紙に、ゴールの瞬間ばかりを、何枚も焼き付けているやつがいる。選手一人ひとりを、正面から、どアップで狙った写真ばかり。グラフ誌の契約カメラマンなんでしょうか。迫力十分ですが、日本の誌面ではあまり使えそうもありません。自由気ままに撮れてええなあ、いやそもそも文化が違う、写真の文化が。みんな『ナンバー』の名カメラマンにみえたものでした。

●テーブルの下のサンドイッチ工場
 陽光降り注ぐ競技場スタンドの取材席。いきなり後ろから長く真っ白い脚がニューっと伸びてきて、びっくり。さりげなく振り返ると、金髪のべっぴんさんがショートパンツ姿で観戦している。胸元にはプレス関係者のIDカードが揺れています。どうやら取材らしい。
 男女の別なく、手ぶらで短パン姿の外国人記者をよく見かけました。日本人は記者もカメラマンも、重武装すり足移動の従軍態勢。外国人はなんと軽装でのんびりしていることよ。望遠カメラ一台だけを抱えたケンタッキーおじさんみたいな短パン記者が、走り出したバスを、前方で仁王立ちして腕を広げて制止。「カ・ン・サミ・ダアー」と大らかに叫びながら、悠々と乗り込んできたのはあっぱれでした。
 ただし、外国人といえども、自由人ばかりではありません。プレスセンターの食堂はバイキング方式ですが、日本円で1200円ぐらいと、かなり高い。あるとき、若くてやせた白人記者がトイメンに座っていました。ところが、この青年、食事は済んだはずなのに立ち去ろうとしない。目線が左右に揺れ、挙動がおかしい。ひそかに観察すると、テーブルの下で、四角い食パンの間に何やらおかずを詰め込んで、サンドイッチを作っているようです。
 この青年にとっても、この食堂は明らかに高い。だから、サンドイッチをこしらえて、せめて一食分を浮かせようと思いついたのでしょう。
 ――このにいちゃんは白人だけど、きっと貧しい国から派遣されてきたんやな。
 ――白人でも貧乏な新聞社に勤めているやつもおんねんなあ。
 おずおずとながら、揺るがぬ信念。いろいろ考えさせられる光景でした。まさにもったいない精神。分をわきまえ、清貧を生きる。世間体にとらわれない。高いたかいとぼやきながらも、見栄だけで利用し続けてきたわが至らなさを、深く恥じ入ったものでした。