しごと談義(8)松屋町のすずめたち

●「今度友だち連れてきたるわ」
 松屋町と書いて、「まっちゃまち」と読みます。大阪市中心部にある古くから人形やおもちゃのまちで、大阪商人の心意気が弾けるような響きです。
 昭和三十年代、「三丁目の夕日」の時代、「松屋町のすずめ」たちであふれていました。大阪中の路地裏に点在する駄菓子屋のおばちゃんたちが毎朝、市電に乗って仕入れに通っていました。
 自宅兼店舗を朝早く出て、松屋町へ。ひいきにしている問屋を何軒か回る。新入りの若い店員をからかいながら、番頭さんから売れ筋情報を聞き出す。顔なじみの駄菓子屋仲間を見つけては、ひとしきり世間話に興じる。そのにぎやかなふるまいから、女性たちは、朝になるとちゅんちゅんさえずるすずめにたとえられていました。
 しかし、いつまでも世間話にうつつを抜かすわけにはいきません。厳選吟味した駄菓子を背負って帰り、昼前には店を開ける。授業を終えて下校してくる子どもたちを出迎えなければいけないからです。
 純真無垢な子どもたちも、こと駄菓子に関しては、目利きで口うるさい消費者。めぼしいものがなかったら、よその駄菓子屋へ行ってしてしまう。浮気を食い止める切り札が、けさ仕入れたばかりの新商品です。
 ――これ、新商品や。よそにないで。
 ――おばちゃんとこ、いつも話題満載やな。今度友だち連れてきたるわ。
 ――おおきに。
 女性たちは一日の売り上げを懐に入れ、翌朝再び、松屋町へ。商人が仕入れに汗を流し、幼い顧客が商人を育てあげる。健全な商人道が大阪の路地裏に脈打っていました。

●子ども向け雑誌の付録を量産
 松屋町の機能は駄菓子や人形の流通機能だけではありませんでした。
 東京の出版社からの注文に追われていました。子ども向け雑誌に欠かせない付録の製造です。編集部から出されたアイデアに肉付けし、量産化できるよう段取りする。そのうえで、家内工場や内職の女性たちに生産を依頼しました。
 付録は子ども向け雑誌のもうひとつの主戦場。付録の低迷は出版市場からの退場を招きかねません。いかにしてコストを抑えて、目先を変えるか。日本のものづくりの原点ともいえる技術の鍛錬蓄積が求められます。
 松屋町の人形づくりの端緒は江戸時代。熊野街道を行き交う熊野詣の巡礼者たちに、素朴な土人形を土産品として提供したのが、始まりとされています。以来、松屋町周辺には、長年の人形づくりなどを通じて、紙や木、繊維などを加工するそれぞれの技能集団が形成されていたそうです。
 分業の見事さ。内職の女性たちの器用な手先が、ときに数万個、数十万個におよぶ、付録のすばやい量産を支えていました。

大人買いを誘う感動の小宇宙
 猛暑の松屋町を歩くと、店頭は無数の花火で埋め尽くされています。新年早々からひな祭り、武者人形、こいのぼりと来て、夏の花火を経て、クリスマスや正月の飾り付けへ。松屋町では、四季を先取りしながら、一年が過ぎていきます。
 かつてのすずめたちに代わって、近年増えてきたのは大人買いの人たちです。松屋町は問屋街ですが、消費者向けの小売りをしている店もあります。駄菓子やおもちゃを求めてやってきた大人たちが、懐かしさや安さ、種類の豊富さなどで興奮し、ピーチクパーチクさえずりあっています。
 子ども会のイベントなどで、やむなく幹事を仰せつかり、子どもたちのための駄菓子や景品用のおもちゃを調達に来て、はまってしまう人が少なくありません。駄菓子やおもちゃが山積みされた店内は、感動の小宇宙。圧倒的な多様性の世界に、魅了されてしまいます。
 カラフルなスーパーボールが二百個数百円という激安ぶり。ただし、その場で買わないと、二度と手に入らないかもしれないそうです。その理由がふるっています。
「コンテナで段ボール入りの商品を日本へ運ぶ際、荷崩れ防止のために、弾力性のあるおもちゃが、あてもんとして、すき間にはさみこまれます。だからいつ今度入荷するかわかりまへんのや」
 おもちゃの宇宙らしい、なんとも大らかなファンタジーともいえます。
 駄菓子屋、人形店とも、松屋町から減りつつあるのは、残念でなりません。しかし、近くの日本橋(にっぽんばし)が、古本・古物のまちから電気街を経て、フィギュア、ゲーム、コスプレなどのサブカル街へと変化を遂げながら、したたかに生きのびてきました。
 同様に松屋町にも、次の展開を期待したい。感動こそ進化の原動力。連綿と続く「まちの種火」は、今も燃え続けていると思います。