しごと談義(10)口下手外交官の逆襲

●体はでかいがノミの心臓
 藤沢周平著「静かな木」。帯に「さよなら海坂藩」とある藤沢最晩年の作品集です。
 本日取り上げるのは、この作品集に収録されている「偉丈夫」。主人公の片岡権兵衛は海坂(うなさか)藩の支藩である海上(うなかみ)藩の中堅武士です。
 偉丈夫のタイトルとは裏腹に、ごつい顔の巨漢でありながら、口下手で知られている。巨漢に似合わぬノミの心臓であることも、権兵衛にはもったいない美人妻に見抜かれています。素質に恵まれながら、ここいちばんに弱い体育会系人間といったところでしょうか。この少々残念な権兵衛に、よもやの特命が下ります。本藩との交渉役です。
 本藩との間で藩境の線引きに関する紛争が百年来、続いています。藩の財政に直結する特産物の産地がからんでいるだけに、両藩とも簡単には妥協できない。年に一度の交渉を前に、担当者の急病に伴い、権兵衛にお鉢が回ってきました。
 権兵衛を迎え撃つ本藩の交渉役は、老練なる策士。にわか交渉役の権兵衛が敵う相手ではありません。案の定、相手に一方的に押しまくられます。しかし、相手が内心「勝った」とほくそえん瞬間、権兵衛が想定外の逆襲に出ます。

●不毛の論争に終止符
 黙っていた権兵衛が突然、大音声を発します。
「それは出来申さん」
 そのうえで、両藩共通の藩祖の遺志を持ち出し、遺志が守られないなら、
「弓矢をとっての一戦も辞さぬ覚悟をいたさねばならぬ」
 と、物騒なことを言い出します。しかも、真っ赤な顔から滝のように汗をしたらせ、つかえつかえに言う。体はふるえ、口元はおぼつかないのに、目は相手をにらみつけています。
 藩祖を持ち出すのは交渉の禁じ手に近いし、こいつ、ちょっとアブナイ。完全に引いてしまった相手は、持論を撤回し、交渉を早々に切り上げて帰ってしまいました。
 まもなく本藩から連絡が入ります。権兵衛の対応を非難しているわけではない。それどころ、国境線引き交渉そのものが不毛の論争であり、今回をもって打ち切りにしたいと申し入れてきました。ひと悶着どころか一件落着。権兵衛は十石の加増に預かり、めでたしめでたしという展開になります。

●「つとめて発言をお控えなされ」
 新たな交渉役に、権兵衛が選ばれたのはなぜなのか。短編ゆえ、詳しくは描かれていません。権兵衛の「押し出し」の良さに賭けつつ、ひょっとしたら、おもしろい展開になるかもしれない。権兵衛より少しだけ世間を知っているベテラン幹部連の作戦勝ちといったところでしょうか。
 美人妻もなかなかに賢い。交渉に向かう権兵衛に、ひとことだけ指示を出します。
「つとめて発言をお控えなされ」
 権兵衛はこの助言に従ったことで、幹部連の抜擢に「うれしい誤算」でこたえたほか、結果的に本藩、支藩間の懸案解消および友好促進にも貢献することができたわけです。
 もしも、です。
 幹部連が「口下手は論外」と権兵衛を派遣しなかったら…。あるいは美人妻が「黙っていてはなりませぬ。生々堂々とご論じください」などと、余計なプレッシャーを与えて、権兵衛を送り出していたら……。本支藩間の懸案解消には至りませんでした。
 外交に必要な人材は、交渉術に長けた雄弁家だけではありません。権兵衛という口下手が歴史を動かしました。心優しき藤沢周平は口下手人間に、ささやかながら晴れがましい舞台を用意しました。外交に限らず、さまざまな交渉のシーンで、口下手人間の出番は決して少なくないはずです。

●言いよどむ大切さ
 にもかかわらず、見事なプレゼンテーションに注目が集まる要因のひとつとして、TVワイドショーのコメンテーターの影響があげられるのではないでしょうか。専門分野が違っていても、彼らには共通点があります。リアクション時間の短さと論理の明快さです。
 彼らはテレビ界のトップアスリートたちです。全員がボルト選手のように、コメントをふられた瞬間飛び出していき、10秒前後で結論に達し、次のコメントレースに備えます。言いよどんで立ち往生したり、思わず頭を抱えて考え込んでしまうシーンはみたことがありません。
 しかし、現実社会のレースでは、様相はまるっきり違うのではないでしょうか。理路整然と話せる人間なんてめったにいない。みんな言いよどむ。言いよどみながら、必死に頭を動かし、ない知恵をしぼろうとします。
 あるいは発言がぶれる。ときにぶれまくる。さっきと違うことを言っていると指摘され、ガク然としてしまう。どっちが本当なのかと問われ、自分でもわからない。
 こんなみっとみないことが日常茶飯事でしょう。言いよどむことにより、そう簡単には答えられない問題を解くための糸口を探すわけです。頭だけではなく心にも聞いてみる。言いよどむ間合いにこそ、考えの奥行を深めるチャンスが秘められているような気がします。
 就活最前線、学生と面接する採用担当者の皆さん、言いよどむ学生にも注目してみてください。できれば、言いよどむのにしばらく付き合ってやってください。100メートル走には向いていないかもしれないが、マラソンや重量挙げなら伸びるタイプかもしれません。いろんなタイプが集まると、その分だけ、なかなか味わい深い組織になります。あとは権兵衛を決戦の場に送り出した幹部連や美人妻のように、個性を殺さずに生かし切ることです。