しごと談義(12)西本幸雄監督の引退試合

引退試合を無料開放
楽天イーグルズを劇的優勝に導いた星野監督、三球団またいでの優勝監督は三原脩(巨人、西鉄、大洋)、西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)両氏に続いて三人目とのことです。私は西本さんの監督引退試合を生で観戦しました。
 昭和五十六年(一九八一)十月四日、大阪城公園に隣接した日生球場近鉄対阪急のダブルヘッダー(若い人、分かりますか、スケジュールがたてこんできたので、一日で二試合こなすというせわしない方式です)が行われました。西本さんの引退試合ということがあって、公式戦にもかかわらず、無料で開放されました。当時、パ・リーグの試合は閑古鳥状態。タダ観の客でもいいから、満員のスタジアムで「世話になったおやじ」を送り出したいという球団スタッフの配慮が働いていたのではないでしょうか。
 私はライター仲間の先輩とふたりで球場へ。この先輩は野球をこよなく愛する昭和の日本人でした。専門分野は野球とは無縁でしたが、将来のスター選手候補を自分の目で探し出したいと、高校野球を観に甲子園まで足をのばすなど、スカウトまがいの地道な活動を展開していました。

●両軍入り乱れて胴上げ
 二試合の勝敗は覚えていません。西本ファンは近鉄ファンであり、阪急ファンでもあります。だから、紅白戦を見ているような和気あいあいのムードで、試合が進んでいきました。
 確か阪急の今井雄太郎投手が最多勝利賞にからんでいましたので、どちらかの試合で先発しました。近鉄では投手から打者への転向を目指していたジャンボ仲根が代打で登場し、見事ホームランを打ちました。
 ――ジャンボ、間に合ってよかったなあ。
 投手としては大成できず、さんざん苦労をかけたおやじに親奉公ができたやないかという意味です。仲根はやんやの喝采を浴びながらダイヤモンドを一周。三塁を回る際、ファンサービスのため、コーチャーズボックスに立っていた西本さんとハイタッチ。西本さんの白い歯がこぼれるのが、外野席からも見えたような気がしました。
 二試合があっという間に終わりました。暮れなずむ球場に、一本のマイクがセットされました。かすかにスポットライトを浴びた西本さんがあいさつします。内容は忘れましたが、「近鉄の連中、阪急の諸君」と、近鉄の選手には親近感を、阪急の選手には敬意を表す言葉を瞬時に使い分け、新旧の教え子たちとの微妙な間合いの違いを匂わせた点に、智将らしいクレバーさを感じたのを覚えています。
 続いて、最後の胴上げです。マウンド付近で西本さんを囲むように、近鉄の選手が集まりました。しかし、その直後異変が起きます。
 逆サイドのベンチ前に整列していた阪急の福本選手がディレクトスチールのように、ふらふらふらと飛び出してマウンドへ。福本選手につられて阪急の選手が次々と登場。両軍のユニフォーム入り乱れての胴上げが始まりました。
 私が生涯で観たもっとも美しいスポーツシーンのひとつです。
 外野席の金網にすがりついて男たちが泣いていました。
 ――西本、やめるなあ。
 ――やめんといてくれえ。

●見上げながら名解説を聞く
 引退後の西本さんに、インタビューしたことがあります。兵庫県下のご自宅へおじゃまし、野球人生をいろいろ振り返っていただきました。想像通りの気さくさで、率直雄弁に語ってくれました。印象に残っているのはおおむね所期の質問項目を聞き終えた余談の時間帯で、当時売出し中だった新鋭イチロー選手の話題を振ったときです。
 西本さんはイチローをいちどキャンプで見ただけとのことで、「(イチローの)どこがすごいんですか」と、なにげなく聞いた瞬間でした。
 応接ソファからさっと立ち上がり、左でバットを構えるポーズを取って、打撃解説が始まりました。もう七十代半ばでしたが、片脚だけで立ってもぶれません。迫真の解説を見上げながら聞きつつ、この人は本当に野球が好きなんだ、やはり名監督はすごい、静かな感動がわき上がるのを押さえきれませんでした。
 西本さんの引退試合から三十二年後の十月。星野楽天の栄光とは裏腹に、「来季の構想から外れた」選手たちの引退情報が漏れ伝わってきています。実績を残し満足して勇退できた選手、不本意なまま引退を余儀なくされた選手。すべての元選手たちの新しい人生に、神仏のご加護がありますように――。