第61回/しごと談義(14)勝っても負けても「いい試合だった」

●練習通りにやればいい
 明大運動部、ふたりの「御大」伝説、前回の島岡吉郎野球部監督に続いて、ラグビー部の北島忠治監督について書きますが、昨日、悲しいアクシデントが起きてしまいました。対抗戦の対筑波大学戦。決してたやすい相手ではないものの、開幕二戦連続完封勝ちの守備力で接戦をしのぎ、なんとか勝利をもぎとれるのではないか。ひょっとして、三戦連続の完封勝利も――との心躍るもくろみは、キックオフ直後に潰えてしまいました。
 よもやのノーホイッスルトライを献上。以降、つねに先行を許し、後半は得点なし。終わってみれば、10対50の完敗。筑波に対明治戦の歴代最高得点というボーナスポイントまで提供してしまいました。守備にも攻撃にも精彩を欠き、前戦までとは別のチームにしか見えない。そもそもメイジがスクラムを押されては……などと、ぼやきが延々続きそうですが、北島御大とかかわることなので、少々長々とぼやかせていただきました。
 北島御大の指導理論は至ってシンプル。試合前の指示は「練習通りにやればいい」。試合後の感想は勝っても負けても「いい試合だった」。以上、という感じです。
 勝敗を超えた枯淡の境地。御大がきのうの試合を観ていたら、洋モクをうまそうに根っこまで喫いながら、やっぱり「いい試合だった」と言ったでしょう。御大はなんと大きく、私はなんと小さな人間なのでしょうか。

●「卑怯ではないか」
 北島御大は学生時代、相撲部からラグビー部に転向しました。ポジションはFWです。一対一の立ち合いより、八対八のスクラムの方が面白い。御大にとって、相撲とラグビーは、構造主義的に同じ神話の奉納試合だったのかもしれません。鋭い立ち合いから、迷わず攻撃を仕掛ける。短いご託宣「前へ」は、自然な流れでした。
 教えすぎない指導者でもありました。こまかいスキルは「社会人になったら教えてくれる」と割り切り、選手たちの素質を伸ばす指導に徹しました。
 私は有力選手だった松尾雄治や笹田学両氏と同世代で、私が四年生のとき、松尾氏らの活躍で社会人チームを破り、日本一に輝きました。その後、松尾氏は新日鉄釜石に進み、明大先輩の森重隆氏らとともに日本選手権七連覇の偉業を達しました。以下、松尾氏のメイジ回顧談に次のような下りがあります。
 対戦相手のサインプレーに、メイジは易々と引っかかって抜かれてしまう。しかも、いちどならず何度も。ノーサイドを迎え、相手のキャプテンが「おまえらバカか」とあきれたほどでした。
 で、まだ下級生だった松尾氏が先輩たちを集めて、相手のサインプレーを解説したそうです。腕を組んで解説を聞いていた先輩氏、おもむろに、
 ――卑怯ではないか。
 スポーツに「卑怯」というアサッテの価値基準を持ち込み、おもむろに判断する。正々堂々と勝負せい。これが北島学校の生徒たちの正解でした。「反則はいかん」も、シンプルな北島語録のひとつでした。

●チーム低迷もOB選手が活躍
 北島御大が亡くなってはや十七年。チームは冒頭の筑波戦のように苦戦を余儀なくされています。しかし、チームが長く波に乗れないにもかかわらず、トップリーグで活躍するOB選手が多いのは、どこかに北島イズムが生きているからと信じたいものです。
 それにしても、勝っても負けても、「いい試合だった」。惨敗したときも、動じない。いや、笑顔さえ浮かべていたような気がします。さきほどの「卑怯だ」選手と同様、我々とは違う世界に生きているような気がします。
 負けてもうれしいことがあったのでしょう。ラグビーができる喜び、明早戦なら、大観衆の前で試合ができる歓び。しかし、負けたら悔しいはず。なぜ、あのような腹の座った生き方ができたのか。若いころ、「坂の忠治」と呼ばれたころ、相当の修羅場をくぐったからでしょうか。
 修行の足りない凡夫は、今季も一喜一憂が続きます。これから当たる帝京、ワセダ、筑波に競り勝った慶応も強そうです。凡夫がいつも「いい試合だった」と達観できるのは、いつになることやら……。