第62回/しごと談議(15)月間千キロの併走

●惨敗の要因はスイーツの誘惑
 野球、ラグビーに続いて、陸上長距離競技の監督です。関西に拠点を置く社会人女子有力チームの監督に取材したことがあります。
 選手が寝食をともにしている合宿所の食堂で、監督と向き合いました。監督は学生時代、箱根駅伝の花の二区を激走し、社会人になってからは一万メートルで五輪に出場した実績を誇っています。苦み走った好漢ですが、女子選手との縁は薄かった。新しいチームの初代監督にとの打診があったとき、「女子ですか…と、ためらいました」と率直に明かす。
 監督就任。チームは順調にスタートしましたが、四年目に危機が待っていました。油断、慢心。選手たちがまったく走れなくなり、レースは惨敗。しかし、原因は探るまでもなく、すぐに分かりました。
 体重オーバー、ありていにいえば、肥満です。体重の自己申告の際、選手たちは四キロも五キロもごまかしましたが、体はうそをつきません。はた目にわかるほど体がふっくらし、ロードレースに出ても、市民ランナーに抜かれるていたらくでした。
 選手たちは食事以外の間食に手を出していたのです。私たちは強い。少しぐらい食べても平気。みんな食べているのだから、私ももうひとつだけ……。のちに国際大会で活躍することになる選手たちが、こらえ性のない幼子のように、スイーツの誘惑にいともたやすく負けていたとは。人間はなんともろい存在なのでしょうか。

●女子につきつけた「死生方針」
 監督は決断します。それまであった女子への温情や遠慮を胸にしまい、再建に乗り出します。
 部員全員を集め、発表したのは単なる施政方針ではない、「死生方針」。文字通り、チームと部員がこのまま死に果てるのか、いまいちど生き返るための闘いに挑むかを、問うものでした。選手たちは過ちを悔いる滂沱の涙で、監督の問いに答えました。
 その日からチームの雰囲気は一転。練習に厳しさが戻ったほか、体重測定には毎日、監督自身が立ち合いました。年ごろの女子部員たちに、容赦なく現実をつきつけるつらい作業だったと、監督は振り返ります。「死生方針」が奏功し、まもなくチームは復活して常勝集団へ成長することができました。

●同僚のために伴走できますか
 マラソンの場合、国際大会を前に有力選手は月間千キロを走り込みます。その間、監督コーチが見守り、ときにチームメートが伴走して有力選手の走りを助けます。チームメートはどんなに苦労しても大会に出て実力を試せるわけではありません。有力選手は周囲の無償の愛に支えられ、メダルを狙うことになります。あなたは同僚のために、伴走できますか。何キロ走れますか。
 勝負は時の運。どんなに力があっても、努力が成果につながらないことがあります。あるマラソンレースの最終盤、優勝候補の一角だった教え子が体調を壊し、どんどん順位を落としてしまいます。選手はあえぎながら競技場に戻ってきました。
「監督、苦しい、助けて。あいつは目で俺に助けを求めながら、それでも走りをやめようとしない。ホントに馬鹿野郎ですよ」
 監督はそう言いながら、テーブルに置いてあったティッシュの箱に手を伸ばし洟をかみました。私も目頭が熱くなり、ティッシュを引っ張り出しました。合宿所の食堂。奥の厨房から調理のおばちゃんが仕込みを始めたらしい音が伝わってきます。大の男がふたり、しばらく洟をすすりながら、感情の高まりがおさまるのを待たなければなりませんでした。