第66回/「ご神仏の仕事学」(12)お祭りは地域の一貫教育校

●夏祭りと秋祭りの違い
 読者諸賢の地元や出身地では、秋祭りは終わりましたか。わたしの住むまちでは、一般的なおみこしではなく、「地車だんじり)」が町内が練り歩きます。
 お祭りが近づくと、若者たちが公園でだんじり囃子の稽古に余念がありません。五十年、百年と続いてきた風景でしょう。夜のとばりが下りた公園内をジョギングしていて、だんじり噺が風に乗って聞こえてくるのも、なかなかいいものです。今年の祭りの本番はあいにくの雨模様となりましたが、だんじり噺はいつもの名調子で響いてきました。
 大阪では夏祭りから秋祭りへ、お祭りがシームレスに続きます。天神祭など夏祭りは都心に多く、周辺地域では秋祭りが中心です。江戸時代の大坂、人と住宅が密集する商業地域の都心では、暑気払いのために夏祭りが好まれました。豪快に騒いで暑さを吹き飛ばし、夏を乗り切ろうという人生謳歌式プラス発想です。
 一方、都心を離れると、大坂でも農村が広がっていました。こちらは農作物の収穫を終えたのち、神様に収穫を感謝するため秋祭りになります。春浅きころから苦労が絶えなかった農作業を、今年も何とかやり抜くことができた。自分たちへの慰労を兼ねたいやし系のお祭りです。
 今も東北地方などに山あいの自炊式湯治場がいくつか残っていますが、かつてはこうした湯治場が全国に点在し、秋が深まるころにはつかの間の休みをとり、農作業の疲れをいやす農家の人たちでにぎわっていました。

●豪快かつ繊細な「だんじり民主主義」
 岸和田のだんじり祭りを取材したことがあります。私が取材した当時、岸和田市内にはだんじりが七十八台ありました。だんじりを新調するなら、工費は一億円を超えます。F1レース並みに、総額七十八億円のだんじりが市内を走り回るわけです。
 総重量四トンのだんじりが直角にカーブし、交差点を一気に走り抜ける「やりまわし」など、見どころがたくさんありますが、わたしが注目したのは、見事な組織と運営力でした。当時の記事を再現してみます。

 <岸和田だんじり祭は、だんじりを所有する町会を軸とした市民組織が自主運営している。総責任者である年番長、年番、町会代表者らが一年を通じて煩雑に会合を重ね、運営方針、交通対策、安全管理から露天商との調整、祭りの後の清掃まで決定し、責任を負う。
 さらに、各町会では、少年団・子供会(中学生以下)、青年団(高校生から二十五歳)、若中(二十六歳-三十五歳)、若頭(三十六歳-四十五歳)、世話人(四十六歳以上)という年齢別の重層的組織が形成されている。
 だんじりのある町に生まれて男児であれば、子供会に始まって、年齢に応じて青年団、若中…と進んでいく。たとえば四十六歳の世話人一年生であれば、先輩世話人たちの管理下で、ゼロから出直さなければいけない。世間の肩書など、通用しない。だんじりに対する情熱や努力が重視される世界だ。
 しかも、体力や知識、経験などを生かし、だれもが何らかの形でだんじりに参加し貢献できるように気配りされている。「だんじり民主主義」である。>

年功序列はだれもが上れる階段社会
 「だんじり民主主義」とは、いささか肩に力が入りすぎているようですが、多様な人材で構成された組織を束ね、巨大プロジェクトを安全に成功させる使命を背負う年番長の責任がとても重いのは確かなことです。
 私が取材した年の年番長は、大手企業勤務のビジネスパーソンでした。確か労働組合の執行委員を務めていましたが、年番長の激務をこなすために、会社を休職。自宅におじゃましましたが、木の香が漂い、真新しい。大人数での会合が開けるよう、自宅を改築して大広間を設置するなど、万全の態勢で臨んだと聞いて、こちらまで背筋が伸びる思いでした。
 岸和田のだんじりに限りません。お祭りは地域の学校です。階段を少しずつ上るようにしながら、お祭りに必要な知識や技術から、人としての生き方、身の処し方までを教わっていく。先輩から厳しく教わりつつ、同時に後輩たちにも習ったことを伝えるなど、世代をまたいだ相互学習による伝統の継承も行われます。いまはやりの一貫教育校の原型が地域社会にありました。
 近年、年功序列は個々人の能力開花を阻害するとの見方が強まっていますが、何事にも一長一短があります。私たちの先人たちは、体力や能力の度合いを問うことなく、だれでも上れる段差のゆるい階段状の組織で、ゆっくりじっくり人を育ててきたという実績も、忘れてはならないと思います。