第67回/「ご神仏の仕事学」(13)平成の寺小屋・鎮守の森教室

●お祭りの縁日は異空間
 お祭りの舞台となる地元の神社。町内を練り歩いたおみこしやだんじりの宮入神事が、祭礼のクライマックスになるケースが多いようです。
 子どもたちにとって、楽しみは縁日。境内や参道に立ち並ぶ縁日はとびっきりの異空間で、心の解放をもたらしてくれます。わたしも少年時代、「お宮さん」のお祭りが楽しみでした。
 母の実家がお宮さんのすぐ近くにあり、半ば寝たきり状態の祖父がいました。私は徳のない子どもで、いつもは遊びに行ってもろくに口をきこうともしない。元気なころの祖父は豪快な男だったのに、病に倒れて体も言葉も不自由になってしまった。その変容ぶりを子ども心に受け入れがたく、哀れにも鬱陶しくも感じていたのだと思います。
 しかし、お祭りの日に限っては、私の方から祖父にすり寄っていく。祖父が小遣いをくれるからです。ふとんから体を起こした祖父が、古いがま口から取り出した穴あきの大きな五十円玉には、なぜかわらくずがくっついてきました。家が農家なので、がまぐちにわらくずが紛れ込んだのかもしれません。
 いずれにせよ、五十円は大金です。人工着色料で真っ赤っかのイチゴジュースが五円で飲めた時代、五十円あれば存分に楽しめます。首尾よく入手した五十円玉をわらくずごと握りしめ、近道である裏手のあぜ道をお宮さんに向けて疾走するシーンが、今も鮮明によみがえってきます。

●全国に十五万の社寺ネットワーク
 夕刊紙や地域情報誌の取材を通じて、たくさんの神社や寺院を訪ねてきました。宗教系の取材を苦手とするライターがいるようですが、私にとっては、宮司や住職の皆さんは、なんでも聞けてなんでもこたえてくれる頼もしい存在です。信仰の専門家たちが一般人とはやや異なる視点から俯瞰する世界の物語は、いつ聞いても新鮮な発見や気づきに満ちています。
 大阪市西部にあるとある神社。ベテランの宮司は子どもたちを相手に、いのちの大切を伝える様々な行事を企画してきました。お祭りの日以外にも、境内に子どもたちの歓声が響きます。宮司はひとつの持論を聞かせてくれました。
「全国に神社が八万社、寺院が七万カ寺。十五万もの社寺が全国に点在しています。各社寺は地域に根付き、地域の皆さんとともに活動しながら歴史を刻んてきました。それぞれの神社や寺院が、子どもたちとしっかり向き合うように努力すれば、もっとたくさんの子どもたちを見守ってあげることができるのではないでしょうか」

●社寺はまちのパブリックスペース
 ひとつの神社や寺院が、仮に十人の子どもたちをサポートするとしましょう。すると、全国で百五十万人もの子どもたちが、安全にすくすくと育つ環境を醸成することが可能となってきます。
 宮司や住職にはまちを愛する人たちが多く、まちおこしの先導役を担っている人もいます。私は子どもの教育関係は不勉強なため、まちがったらお詫びしなければいけませんが、公教育では宗教はほとんど授業で教えられていないと聞いていますが、半面、地域を知る社会学習などの一環として、子どもたちが地元の神社や寺院を訪ねて、地域の歴史文化などの教えを請いながら宮司や住職と交流する機会が増えているようです。こうした社会学習は継続していただきたいと思います。 
 江戸時代の寺小屋が識字率の高さを下支えしてきました。いろいろなまちの地域史をひもとくと、明治期、まちで最初の公立学校が、社寺の一隅を借りて開設されたケースも珍しくありません。平成の寺小屋や鎮守の森教室のネットワークが広がることを期待します。
 考えてみれば、私は五十円玉を握りしめたまま、ずっと社会学習を続けてきたような気がします。文字通りの生涯学習です。子どもたちに限らず、若者から働き盛り、シニア世代に至るまで、あらゆる世代の大人たちが、もっと社寺を活用したら、閉塞気味な世の中に、少しは違う展望が開けてくるかもしれませんね。