第68回/「ご神仏の仕事学」(14)西鶴VSオダサク


●マント姿のダンディズム
 神社仏閣は地域のメモリー装置です。地域にまつわる史実や伝承を受け継ぎ、地元ゆかりの人物の足跡を記憶に留めるための顕彰碑が設置されています。大阪市天王寺区の生國魂(いくたま)神社にこのほど、大阪生まれの作家織田作之助の生誕百周年を記念し、市民グループの手で銅像がお目見えしました。
 織田作之助は愛称オダサク。戦後の混乱期、太宰治坂口安吾とともに無頼派三羽烏と呼ばれました。代表作の「夫婦善哉」は、大阪の庶民の喜怒哀楽を描いた大阪文学の金字塔的作品。血の通った大阪人に会いたかったら、この一編を読んでもらえれば事足りるという百点満点の物語です。
 オダサクは近所の長屋で生まれ育ちました。幼いころにはこの神社の境内で遊んだものと思われます。銅像のオダサクは帽子にマント姿。戦前の新聞記者時代、マントを風になびかせ、さっそうとまちを行くオダサクのダンディズムが匂いたってきそうです。

●「人間とは欲に手足を付けたもの」
 境内には近世の作家井原西鶴銅像も立っています。「人間とは欲に手足を付けたもの」と喝破した人間洞察がすごい。西鶴には作家デビューを果たす前、俳諧師として「大矢数(おおやかず)」で人気を集めた時期があります。
 生國魂神社で一昼夜二十四時間で四千句を詠むという興行を企て、晴れて成功させました。単純計算で一句ひねり出す時間は二十秒前後。すさまじいスピードです。観客の喝采を浴びたものの、曲芸的パフォーマンスといえ、飽き足らなくなった西鶴はまもなく小説作家へ転向していきます。あわただしい年末大晦日に焦点を絞って人間模様を浮かび上がらせる、連作作品集「世間胸算用」の鮮やかな着眼点などに、俳諧師時代のプロデューサー的あるいは編集者的センスが垣間見られます。
 西鶴VSオダサク。銅像を見比べながら、大阪が自信を持って送り出す文人文士対決に、しばし思いをはせてください。