第70回:「ご神仏の仕事学」(16)山寺に讃美歌が響く

●石仏さまが聞いた「主は来ませり」
 クリスマスを祝った数日後、大晦日にお寺で除夜の鐘をついたその足で、神社へ初詣を済ませ、新年を迎える。日本人の信仰に対する無節操さを揶揄するときに引用される歳末新春の光景です。しかし、私はこのふるまいにこそ、日本人らしい多様性がにじみ出ていると思います。
 私はお正月をふるさと富山で迎えます。毎年のように密教系の山寺へ初詣に出掛けます。真冬でも、行者が滝に打たれる修行道場として知られています。ある年の雪のお正月、駐車場で車を降り、本堂へ向け、山道を歩き始めると、どこからともなく美しい歌が聞こえてきました。
 ♪主は来ませり、主は来ませり〜♪
 歌っているのは、小学生のかわいい女の子でした。この少女はとても感受性が豊かなのだと思います。車を降りた瞬間から、周囲の凛とした荘厳さを感じ取り、思わず、クリスマスソングとして習ったばかりの讃美歌をくちずさんでいたのではないでしょうか。
 彼女にとって、宗教や宗派の違いはさほど重要ではない。荘厳さに敬意を払うことが大切だった。山寺にキリスト教の讃美歌が流れたのは、開山以来初めてのことでしょう。しかし、山寺のご本尊は、直接岩肌に刻み込まれた巨大な石仏ですが、石仏さんも、少女の讃美歌をお聞きになって、少し照れ笑いを浮かべて驚きながらも、喜んでおられたことでしょう。それほど、少女の讃美歌は雪の山寺にマッチし、私も心に染み入るように聞かせていただきました。

神仏混淆の懐の深さを取り戻す
 明治のある時期まで、神仏混淆であった事実が、今ではほとんど意識されることがなくなってきましたきました。神様と仏様がいっしょに祭られる。それがごくごく自然な情景でした。その後、神社とお寺の分離が法律で定められ、それぞれ独立した宗教施設になりました。
 しかし、現在でも目を凝らすと、かつての神仏混淆時代の面影を残す神社仏閣もあります。たとえば、お寺の境内の一隅に、赤い鳥居でおなじみのお稲荷さんの祠(稲荷神社)が残っている。あるいは神社の古い門に、お寺の山門が再利用されているという具合です。
 神社もお寺も、時代の流れを受けて、姿を変えていきます。小さな鎮守の森が統合されてひとつの大きな神社になることがある。大正から昭和にかけて、新しいまちが建設され、新天地へ進出してきた新住民たちの心のよりどころとなるため、真新しいお寺やキリスト教教会の創設が相次いだ時期もあります。半面、住民がいなくなり、すたれてしまうお社も少なくありません。
 私たちは永遠を求めています。しかし、永遠かつ絶対不変に見えるものに、時代の力が少なからず働いているのも、事実です。
 神仏混淆の時代、日本人には多様なものを、未分離未整理のまま、柔軟に受け止める懐の深さがありました。渾然一体、融通無碍。山寺で出会った讃美歌の少女のように、素朴でしなやかな感性を取り戻したいものです。
 まもなく新しい年が訪れます。すべての働く人たちに、ご神仏のご加護がありますように――。