第76回「しごと談議」(21)サッカーは古典芸能

●型を真似て身に付け壊す
 サッカーW杯ブラジル大会。完敗で予選落ちした日本代表に関して、「自分たちのサッカー」論が盛んに論議されています。
 「自分たちのサッカーを徹底できなかったから負けた」「自分たちのサッカーにこだわるべきではない」という二項対立をベースに、論戦が展開されています。
 私はサッカーを古典芸能にたとえたいと思います。サッカーの後進国である日本は、先行するヨーロッパや南米の師匠たちに弟子入りし、けいこをつけてもらうことから、修業を始めました。
 習うより慣れろ、です。所作ふるまいから精神論まで、師匠の型を真似ていく。二十年、三十年の歳月を費やし、各流派の良いところを取り入れ、ようやく「自分たちの型」ができたと、おぼろげながらも手ごたえを感じました。
 その確信が幻想にすぎなかったことを、遠いブラジルのひのき舞台で思い知らされました。自分たちの型は通用しなかった。
 しかし、悲観することはありません。なぜなら、芸の道の教え通りに進んでいるからです。型を真似て身に付けるだけでは、本物ではない。今度は苦労して身につけた型を、おのれの意思で壊さなければいけない。
 型を壊す。型から離れる。型に問いかけ、型と向き合い、ときに型をうらみながら、型を乗り越えていく。至上の芸を次々と披露する兄弟子たちも、そんな葛藤を通じてこそ、「型があってないような」次元へ到達できたのです。
 当面はしっかり深く落ち込めばいい。立ちあがれないほど真剣に落ち込んだ者だけが、芸道の次の扉を開いていきます。これからが本物の修業です。さあ、自由自在、融通無碍の境地へ――。