第77回「しごと談議」(22)「俺を真似ろ」と勝新が言った本当の理由

●鬼才勝新は古典芸能の名手だった
 サッカーは古典芸能であると、前回書きました。古典芸能つながりで、話題をもうひとつ。先日、テレビのトークコーナーで、俳優の松平健が、師匠だった勝新太郎の逸話を披露しました。
 松平は勝新の付き人でした。この付き人という制度も、日本固有とまではいえないかもしれないが、日本らしい人材育成制度です。私の仕事仲間のベテランカメラマンの中には、若いころ、付き人に近い修業の仕方をした人がいます。いつか機会があれば、この付き人制度にふれることとして、勝新に話を戻しましょう。
 若い役者がうまくなるには、どうしたらいいのか。こうした問いに対して、勝新はふたつの助言を松平に送ります。
「俺を真似ろ。俺とおまえはタイプが違うから、おまえが俺を真似ても、だれも分からない」
 勝新が、俺を真似ろと。少し意外な気がしませんか。台本なんぞ、くそ食らえ。常識破りの鬼才ぶりで知られた勝新なら、「人の真似なんか、するんじゃねえ」「したら破門だ」と、一喝しそうな気がします。
 ところが、勝新はむしろ「俺を真似ろ」と。しかも、おまえが俺を真似てもだれも分からないから安心しろと。これは勝新が古典芸能の世界を知っていたからだと思います。
 勝新長唄三味線方の名人の息子として生まれました。自身も二代目杵屋勝丸の名跡を継ぎ、若いころから、芸者たちに長唄や三味線の稽古をつけていたそうです。師匠と向き合い、師匠の手を真似ることから芸の道を歩み始めた人物です。このベタな反復トレーニングの効果を、肌で感じていたのではないでしょうか。

●五人を真似て、いちばんいいのを選べ
 勝新はもうひとつ、助言をします。
「おまえにも好きな役者が五人ぐらいいるだろ? その五人を真似ろ。五人ならこう演(や)るだろうと想像して、それぞれ真似てみろ。そうして、いちばんいいのを演ればいい」
 しびれますな(昭和な表現です)。俺を真似ろといいながら、俺だけを真似ろとはいわない。五人を演じ分けて、いちばんいいのを選べばいいと。この懐の深さ、鷹揚さ、引き出しの多さ。勝新の演技論に直結した助言だと思います。
 勝新とはいささか離れますが、松平は同じ番組で東映の殺陣の見事さを、「日本舞踊が根底に流れている」と、読み解きました。
「テレビなどの殺陣は、刀を振り回してバッサバッサ斬るだけですが、東映の殺陣は違う。踊りなんですよ。たとえば、殺陣の途中で、ひとまわりして間を作り、相手をにらむ。だから東映の殺陣はいいと言われるんです」
 なるほど、あれは男たちが舞っていたんですね。花田秀次郎も、風間重吉も。いつかサッカー日本代表の諸君も、ピッチで存分に舞ってくれる日が訪れるのを期待しましょう。