第79回「しごと談議」(24)「『ちょいおた』と『おたおた』」

●「のめりこみ型」と「何でも屋型」
 取材歴ウン十年というのは事実ではありますが、私には専門分野がありません。「広〜く、薄〜く」のまんま、馬齢を重ねてしまいました。
 かつて私が所属していた関西夕刊紙の世界には、ふたとおりの記者がいました。
 ひとつは「特定分野のめりこみ型」。阪神タイガースなり、お笑いなり、あるいは暴力団の抗争などの事件ものなりに、のめりこんでいく。思いこんだら、この道ひと筋。地獄耳のものすごい情報量で、つぼにはまるとおもろい記事を連発する半面、他の分野にはほとんど関心を示さない。
 もうひとつのタイプが「せっかくだからいろんなのをやりたい何でも屋」型。名刺一枚で、誰にでも会える記者の名刺は、魔法の道具。人生はいちどしかないのだから、専門を決めてしまうのはもったいない。なるべくいろんな分野にちょっかいを出し、あれやこれやの人生を体験したいと考えるタイプで、私もこちらに属していました。何でもそこそここなすものの、飽きっぽいので、問題意識が持続しないのが難点ではあります。
 このふたつのタイプはバランスよく編集局内で共生できたら、いい紙面ができますが、なかなかそうはいかなかったですね。

●おたく諸賢の深々とした知の森へ
 何でも屋では通用しない、専門を持たなあかんという強迫観念がずっとありました。しかし、性格は変えられない。そこで、私がひねりだした妥協案が、「ちょいおた」「おたおた」でした。
 ある特定の分野にそれなりに関心を示すのが、「ちょいとおたくになる」のだから「ちょいおた」。少しだけでも関心を持たないと、専門家には取材できません。ただし、あしたはまったく違うジャンルの専門家に会うのだから、いつまでもひとつの専門だけ勉強しているわけにはいかない。その点でも「ちょいおた」で寸止めというわけです。
 私は専門家から話を聞くのが好きです。市井の専門家であるおたくの皆さんの生き方、考え方も大いに共鳴するところがあります。
 へえへえの連続で、きわめて知的刺激に富んでいます。で、いろんな分野のおたく諸賢に話を聞くのが好きなおたくだから、「おたおた」です。
 私自身はおたくにはなれない凡人ですが、おたく諸賢と社会をつなぐ接点にはなれるのではないか。余計なお世話だといわれるかもしれませんが、いまのところ、ここらあたりに私のレーゾンデートルを追い求めていきたいと考えています。
 日本にはおたく諸賢が互いに影響を与えながら作り出した深々とした知の森が広がっています。その森の生態系の全容は、だれにも分からない。ほんの一部でいい。ほお、ここらはこうなっているのか……フィールドワークには絶好の場所と、私には思えます。