第80回「しごと談議」(25)「動的均衡」と「臨機応変」

●繁盛商店街も顔ぶれは変わっている
 きょうは「しょうがないからあきらめよう」という話をします。
 私たちは古い街並みに「昔のまんまの佇まい」を求めます。少しでも手が加わっていると、その分だけ価値が低い「残念な」気になります。
 しかし、よくよくみると、世の中に永遠不変のものなどありません。天神橋筋、京橋、千林など、大阪の繁盛商店街も、しかり。たとえば開設80年として、80年前から営業している老舗ばかりが軒を連ねているわけではない。80年継続組はごく少数派で、大半はいろんな時代にパラパラと進出してきて、生き乗った。
 閉店した空き店舗に少々手を加え、新しいあきんどさんが暖簾を掲げる。80年間その繰り返し。少しずつメンバーを変え、時代の空気に即応しながら、商店街全体としては、魅力を失わずに生きのびてきたわけです。
 動きながら均衡を保つ。動きが鈍くなったら、シャッター商店街になってしまう。このいささか残酷な「動的均衡」を、しかと受け止めることが、現代の日本人に大切なような気がします。
 私たちの体の成分も、数日間でほとんど入れ替わってしまう。要するに、数日間で別人になる。
 いつまでも、昔のままの、あるいは今の自分ではいられない。私たちの体もまちも社会も新陳代謝をして日々、生き返っていくしかないさだめになっています。

●その場で空気を読んで決める
 もうひとつの「しようがない」は「臨機応変」。
 山中で道に迷ったとします。分かれ道で、右に進むべきか、左へ向かうか。はたまた座り込んで救援を待つべきか、それとも今きた道を引き返すか。少なくとも四つの選択肢からひとつを選ばなければいけません。
 しかし、どれが正しい選択かは一概にいえないのではないでしょうか。右の道が安全な最短コースであった場合でも、天候や救援隊の動き次第で状況ががらっと違ってくるかもしれません。
 臨機応変、その場で雰囲気を読みながら決めるしかない。そのうえで、助かったら、運が良かった。助からなかったら、運が悪かった。それだけです。
 正解はひとつだけない。正解が間違っていることもある。「動的均衡」と「臨機応変」の繰り返しで、人の人生やまちの歴史はできているように思います。