第81回「しごと談議」(26)「神仏習合」と「鬼平犯科帳」
●インドの神さんがたまたま日本へ
『ともかくも、八、九世紀における神仏習合は、たぶんに窮余の策ながら、日本人最初の独創的な着想だったにちがいない』
司馬遼太郎さんの「この国のかたち(五)」(文春文庫・27ページ)からの引用です。
日本人は水と油ほどに真っ向から対立する事柄を、うまくなだめすかして、くっつけてしまうのが得意です。
神仏習合の他にも、本地垂迹説、公武合体論に、自・社・さ政権という離れワザもありました。反対勢力からみると、サギ、ハッタリ、ペテンのたぐいとしか思えません。
事実、司馬遼さんは同じ本の中で、こうも言っています。
『平安朝の神仏習合の思想は、神々の本地(故郷)はインドで、たまたま日本に垂迹した、ということが基礎になっている。滑稽だが、思想というのはあくまでも大まじめなものである』(18ページ)
この「たまたま」というところが、出色です。職人技にたとえると、ひと手間かけている。私は性格がネクラ(昭和な表現ですな)で、まじめひと筋の面白みのない人間ですが、この手のケレン味をこよなく愛します。
●「はて、そんな奴がいたか。わしは知らんぞ」
理屈というのは適当なものだから、理屈はなんでもよろしい。要はオペレーションで決まるという話をしたいと、さきほど、ジョギングをしながら考えていました。で、湯船に浸って司馬遼さんを読んでいたら、前出の話題が出てきたので引用させていただいたという次第です。
で、司馬遼さんから「鬼平犯科帳」へ。事件が解決して迎えたラストシーン。捜査協力にした元犯罪者を、捜査当局としては見逃すわけにはいかない。部下が処罰を訴えると、鬼平はとぼけてこう言います。
「はて、そんな奴がいたか。わしは知らんぞ」
いわゆるお目こぼしです。一同、ははぁ――で一件落着というところです。
お目こぼし、見て見ぬふりで、ことさら問題にしないという問題解決のオペレーションです。さきほどの司馬遼さんの本地垂迹表現を借りれば、
「わしはそやつを、たまたま見かけなんだ」
ということになります。
一転して、とんでもない悪事をおめこぼし、見て見ぬふりで、ことさら問題にしないという癒着隠ぺい体質のオペレーションも、残念ながら腐るほどあります。
要はオペレーション次第。つまり鬼平になるか、鬼平に斬られる側に回ってしまうかは、我々一人ひとりの日ごろの行い次第ということです。