第84回「しごと談議」(29)コーヒー一杯の不幸せ

●未開の地で差し出す贈り物
 これまたある日どこかで、日本の人類学者たちが、という物語です。
 未開の地に長らくフィールドワークに入っていた研究者たちに、日本へ引き揚げるときが訪れました。
 そのころには、子どもたちが研究者たちのテントに遊びに来るほどまで親しくなっていました。
 一杯のインスタントコーヒーを差し出すと、子どもたちは興味津々。でも、黒い色が気になって遠巻きにのぞきこむだけ。
 そのうち勇気あふれるというか、少々おっちょこちょいの子が手を伸ばします。子どもには苦いはずですが、にこにこして飲み干しました。
 研究者たちは最後に酋長殿を表敬訪問し、撤収のあいさつをします。
 そのとき、さきほどのインスタントコーヒーを飲んだ子どもの笑顔を思い出し、酋長にこう提案します。
「よろしければ、コーヒーを置いていきます。お世話になったお礼です」

●「おいしいものはいらない」
 予想外の提案に、酋長はしばし考え込み、こう聞き返しました。
「それはおいしいか」
「とてもおいしい」
 なるほどとうなづいた酋長は、もういちど熟考します。そして、
「おいしいのであれば、いらない。持って帰ってください」
 予想外の答えに、こんどは研究者が驚く番です。なにか失礼なことを言ってしまったのか。酋長に断った理由を聞きました。
「そんなにおいしいものなら、全部飲んでなくなったらさみしくなる。争いが起こるかもしれない。だから、この村にはいらないのです」
 この抑制のきいた判断に、未開の知性を感じます。消費を引き金としない経済社会が存在します。おいしいものには、「だれもが平等に手を出さない」という選択肢が、同じ地球上に存在するのです。
 前向きではありません。臆病者、後ろ向きのやせ我慢というか。
 日本人は、この一杯のコーヒーを飲むため、がむしゃらに働いてきました。そして、一杯より二杯、三杯。さらに少しでも品質の高いコーヒーにあこがれ、コーヒーの似合う暮らしに恋い焦がれているうちに、何を何杯飲んでも、さらにのどが渇く渇望の連鎖地獄にのめりこんでしまいました。
 渇望地獄からの出口は、しばらく見つかりそうにありません。どこぞの村に、賢明なる酋長さん、いませんか。