第92回「しごと談義」(37)「うまくいえないけど、うまくいえないっすよ」

●必死に考えた末の誠実な中間報告
 もっとも心に残るテレビドラマのひとつが「前略おふくろ様」。東京の下町に生きる愛すべき人間たちのこまごまとした喜怒哀楽を、さもありなんという心のひだに染み入るようなタッチで描き続けた。
 萩原健一演じる主人公のさぶちゃんは、山形出身の見習い中の板前で、口下手。ささいなことで厳しく糾弾を受けたとき、さんざん迷った挙句、次のように答える。
 「うまくいえないけど、うまくいえないっすよ」
 眉毛をへの字に曲げてつぶやくショーケンの名演技もあいまって、強烈な印象を残した。このドラマを代表する名セリフで、当時の物まねの定番にもなっていただろうか。
 しかし、臨床心理学的にはこの独白にうそはない。だれかの意見を借りたわけではない。さぶちゃんが自分なりに必死に考えた、結論ではないまでも、誠実な中間報告といえる。
 名カウンセラーならこのひと言を手掛かりにして、さぶちゃんの心理世界との対話を続けていく展開になるが、我々の日常生活にはカウンセラーはいない。だから「いい加減なこと言わないで」「逃げるの?」「ちゃんと答えなさい!」などと、罵詈雑言を浴びせられ、さらに立場を悪くしてしまう。
 口下手も、昭和な言い回し。いなくなったはずはないのだから、死語になってしまっただけか。
「うまくいえないけど、うまくいえないっすよ」
 職場や学校、家庭の落ちこぼれくんばかりではなく、学校の先生やコメンテーター、さらには天下の政治家、社長サンに至るまで、勇気を出してこういえる時代、その勇気に免じていってもしばらくは待ってくれる時代に、なればいい。