第98回ある中小企業が人員整理をしない理由とは?

●退職者と町で出会う「気まずさ」と「申し訳ない」
 貸衣装店チェーンの突然の店舗閉鎖で、新成人たちが晴れ着を着られない事件が起きた。起業は多産多死。当初の志とは裏腹に、世間の指弾を浴びながら退場するケースが、残念ながら後を絶たない。従業員は路頭に迷い、顧客は置き去りだ。
 「ええか、社員の首を切ったらあかんで」。大阪府下の町工場街。2代目経営者が事業を継承する際、父親の創業者から聞かされた「遺言」が忘れられない。
 精密加工の専門集団だが、経営には波が生じやすい。創業者は事業不振に陥った時、一度だけやむなく人員整理を行った。退職したのはわずか数名ながら、創業者を大いに悩ますことになる。
 「狭い町や。辞めてもろうた人たちと、ばったり顔を合わせる。あんなに気まずいもんはない。申し訳ないと頭を下げるしかない。どんなに会社がしんどなっても、二度と社員の首を切ったらあかん。それだけがおまえに会社を任せる条件や」
 「申し訳ない」。日本の共同体を下支えする倫理観のひとつだろう。共同体の上位に立つ者は「申し訳ない」を重視し、「申し訳ないことはしない」を行動原理にして、日々のオペレーションに取り組むことが求められる。
 事実、2代目社長は創業者の「遺言」を守り抜く。経営が厳しくなったらどのようにして切り抜けるのか。
 「余剰人員が5人程度なら、新しい仕事をひとつ取ってきたら、辞めてもらわなくていい。技術も磨ける。心配することはありませんよ」
 3代目の時代を迎え、従業員40人前後の適正サイズを維持しながら、ものづくりを続けている。