第102回ケース入りビールを担ぐ奥義を伝授

●「チョコンとのせるんだよ」「ちょこんですか?」
 上京した初めての夏、学生アパートの先輩の紹介を得て、渋谷の酒問屋でバイトした。坂の上り口にある大きな問屋だった。主な取引先は渋谷周辺の飲食店で、常時、数人のバイトが待機。注文が入ると、2トントラックに酒を積んで配達に行った。
 トラックの荷台に人が乗るのは道交法か何かの違反になるらしいのだが、荷物を安全に運ぶための管理要員ということであれば違反にならないという理屈を聞かされた。
 エレベーターのない雑居ビルが辛かった。瓶ビール20本入りのケースを肩に担いで、4階、5階のスナックまで階段を上らなければねばならない。悪戦苦闘する学生バイトをしり目に、すいすい駆け上る人がいた。
 番頭さんだ。背は低いが、がっしり。ラグビーのフッカーみたいな体つきだ。性格もフッカーさながら、寡黙でまじめひと筋。学生は1ケースだけでヒーコラ(この擬音表現は死語か?)音を上げているのに、番頭さんは2ケース担いでもヘイチャラ(これも死語?)。ある日、聞いた。
 「どうしたらそんなに楽に担げるんですか」
 「担ごうとしない。肩のここにな、チョコンとのせればいいんだ」「チョコンですか」「そうチョコン」
 チョコン問答だ。肩のどこかにツボのようなところがあり、うまくツボにはまると、筋肉を無理なく稼働させて運べるようだった。
 赤坂、六本木も配達のエリア内。日活のニューアクション映画に出てきそうな怪しいジュータンバーの扉を開く。昼下がりの開店前だが、今晩何が起こるのかと、18歳の想像力を大いにかきたてられたものだ。
 日給は日払いで1400円。バイト代をもらったら、その足で駅前のデパートのビアガーデンへ直行。きれいに飲んでしまうことが多かった。番頭さんにビール担ぎの極意を学んだものの、免許皆伝まで修行を積む前に、あの短い夏は終わってしまった。