第103回平凡な記録で敗れた選手への取材

●「おつかれっす、何を感じてますか、全部教えて」
 国際試合をテレビ観戦していて、気になる選手たちがいる。伝統的な人気競技ではスポーツの盛んな欧米の選手が強いはずだ。ところが、欧米代表でも、あっさり負ける選手がいる。データをみると自己ベストがさほどよくないので、さもありなんである。晴れの試合でも、平凡な記録で敗れてしまう。
 大げさなポーズで落胆ぶりを表現する演技派。淡々と負けを認め、次の目標に意識を切り替えますから的な割り切り派。超と付くようなトップアスリートとは呼びにくい彼らなりのスポーツ観を知りたい。人生論に耳を傾けたい。
 スポーツ弱小国の選手なら、試合に出場するだけで価値がある。陸上競技なら惨敗しても完走することに意義がある。一選手の経験のすべてが、国や後輩たちの貴重な財産になるからだ。
 一方、スポーツ先進国の敗者たち。「やはり勝てなかった」事実と、どのようにして折り合いを付けるのだろうか。祝福を受ける自国の英雄たちの陰に隠れて、だ。
ヒーローインタビュー。確かに人類史を塗り変えるようなメダリストからはすごい話が聞けるかもしれない。同時に予選敗退の残念組にも、それなりに獲得した情報や感覚、知見があるはずだ。ところが、スポーツメディアでは、敗者の弁はいくつかの紋切り型の短いコメントしか発信されない。もったいない話ではないか。
 ヒーロー、ヒロインの活躍を尻目に、黙々と日々を過ごすことが、市井の人たちの人生だ。それぞれの人生はたとえ似通っていても、換えがきかない。「平凡の非凡」。市井の人たちに近いのは、平凡の非凡を体験した勝ちきれない選手たちではないか。
 筆者がマラソン大会の取材記者なら、自己記録にも及ばない平凡な記録で、46位とかでゴールしてきた選手に聞きたい。「おつかれっす、何を感じてますか」「よかったら全部教えてください」