第106回鉄筆でガリガリ削る厳粛なるバイトとは?

●ピンナップガールたちに晴れて入国してもらうため
 鬼班長の指導の下、筆者が機械油にまみれて旋盤に向かっていたころ、楽しいバイトをこなすうらやましい連中がいた、ようだ。筆者はバイトの現場に立ち会っていないから、以下、昔のうわさ話として聞いてほしい。
 ある大学の学生いわく、「うちのゼミ生はすごいバイトをしている」。洋書として販売されている有名男性誌の仕事だ。ガリ版印刷の鉄筆のような道具をもって、定められた写真ページをガリガリやるのだという。
 雑誌の売りは美女たちのオールヌードグラビアだ。センターページを彩る彼女たちはピンナップガールと呼ばれていた。学生たちは彼女たちの局所付近を鉄筆でガリガリ削って見えなくしていた。
 ぼかしという技術がまだ開発されていなかったからだろうか。かなりの部数が輸入されていたはずだが、日本の若者代表たちが1冊ずつ黙々とガリガリやっていたことになる。
 黙々ガリガリの作業は税関の関連施設で秘密裏に行われている、うちのゼミだけが粛々と受け継いでいる伝統的なバイトなのだと、学生は誇らしげに語っていた。シニア世代なら一部がガリガリ削られた美女たちのセンターページを覚えている方もいるのではないか。
 強く削りすぎると破れてしまう。消え残しがあれば、本屋に並べるわけにはいかない。芸術鑑賞や国際交流推進の観点からも、大きな損失だ。それなりの熟練度が要求されたようだ。
 見えそうで見えない。ひよっとしたら見えるかもしれない……。いわくいいがたしの絶妙なる世界。黙々ガリガリピンナップは、日本の繊細なものづくり力を示す昭和遺産のひとつだったかもしれない。

第105回いかつい鬼班長の意外な質問とは?

●精一杯の作り笑いを浮かべて「あんた学生さんだろ?」
 アルバイト先の町工場で鬼班長に出会った。鬼瓦かブルドックのような容貌のベテラン旋盤工だった。旋盤はむずかしい。削る部品を旋盤にギュッと締め付けてセットするだけで、非力な筆者は腕が痛くなってしまう。
 思うように削れない筆者に対し、鬼班長は「しょうがねえなあ、ったく」という体で、最低限の指示を出すだけ。口下手なのだろう。筆者もしゃべらないまま、気まずい何日かが過ぎていた。
 ある日の昼休み。夏の甲子園のテレビ中継で狭い社員食堂が盛り上がっていた。筆者を見つけた鬼班長は何を思ったのか、自販機で買ったカップコーヒーを差し出してきた。何か怒られることをしただろうかと緊張したが、鬼班長は精一杯の作り笑いを浮かべて、切り出した。
「あんた学生さんだろ?」「あ、はい」
「どれぐらいかかるもんなんだろうね。大学に通うには」「授業料ですか」「バカ息子がさ、大学へ行きたいなんて言い出すもんだから」
 筆者はお金はあまりかからないという趣旨でいろいろ伝え、「大丈夫です、息子さん大学へ入れますよ」と励ました。鬼班長も安心したのか「ありがとよ」と満足げだった。
 以来、筆者と鬼班長は少し良い関係になった。鬼班長が大事な製品の加工を間違い、取引先に謝ることになった時、出来の悪い筆者もわがごとのように心配した。「なんとか誤差の範囲内ということで許してもらったよ」。鬼班長のほっとした表情が忘れられない。なんせ、息子の授業料がかかっている。
 あの夏の主役は作新学院江川卓だった。
 

第104回100人参加のトーナメント大会の試合数は?

●99人が負けなければ優勝が決まらないから99試合
 柔道大会。100人の有力選手がトーナメント方式で戦うとしよう。引き分け再試合はない。
 ここで質問。優勝者が決まるまで、何試合が必要か。答えは99試合だ。たったひとりの優勝者を出すために、残り99人全員が負けなければならないからだ。99人のうちひとりでも「嫌だ」「負けを認めたくない。もう一丁」とごねたら、優勝者は決まらない。
 強豪選手になるほど、力量の差はわずかだ。スポーツとはたったひとりに、他の者たちが勝ちを譲る文化である。栄冠とはおのれの力だけで獲得できるものではない。勝者が敗者に感謝をささげるのは当然の作法だろう。
 筆者もスポーツは嫌いではない。ますます盛んになってもらいたい。敗者を思いやる文化を上手に醸成すべきではないか。ガッツポーズだけがスポーツのだいご味ではない。

第103回平凡な記録で敗れた選手への取材

●「おつかれっす、何を感じてますか、全部教えて」
 国際試合をテレビ観戦していて、気になる選手たちがいる。伝統的な人気競技ではスポーツの盛んな欧米の選手が強いはずだ。ところが、欧米代表でも、あっさり負ける選手がいる。データをみると自己ベストがさほどよくないので、さもありなんである。晴れの試合でも、平凡な記録で敗れてしまう。
 大げさなポーズで落胆ぶりを表現する演技派。淡々と負けを認め、次の目標に意識を切り替えますから的な割り切り派。超と付くようなトップアスリートとは呼びにくい彼らなりのスポーツ観を知りたい。人生論に耳を傾けたい。
 スポーツ弱小国の選手なら、試合に出場するだけで価値がある。陸上競技なら惨敗しても完走することに意義がある。一選手の経験のすべてが、国や後輩たちの貴重な財産になるからだ。
 一方、スポーツ先進国の敗者たち。「やはり勝てなかった」事実と、どのようにして折り合いを付けるのだろうか。祝福を受ける自国の英雄たちの陰に隠れて、だ。
ヒーローインタビュー。確かに人類史を塗り変えるようなメダリストからはすごい話が聞けるかもしれない。同時に予選敗退の残念組にも、それなりに獲得した情報や感覚、知見があるはずだ。ところが、スポーツメディアでは、敗者の弁はいくつかの紋切り型の短いコメントしか発信されない。もったいない話ではないか。
 ヒーロー、ヒロインの活躍を尻目に、黙々と日々を過ごすことが、市井の人たちの人生だ。それぞれの人生はたとえ似通っていても、換えがきかない。「平凡の非凡」。市井の人たちに近いのは、平凡の非凡を体験した勝ちきれない選手たちではないか。
 筆者がマラソン大会の取材記者なら、自己記録にも及ばない平凡な記録で、46位とかでゴールしてきた選手に聞きたい。「おつかれっす、何を感じてますか」「よかったら全部教えてください」

第102回ケース入りビールを担ぐ奥義を伝授

●「チョコンとのせるんだよ」「ちょこんですか?」
 上京した初めての夏、学生アパートの先輩の紹介を得て、渋谷の酒問屋でバイトした。坂の上り口にある大きな問屋だった。主な取引先は渋谷周辺の飲食店で、常時、数人のバイトが待機。注文が入ると、2トントラックに酒を積んで配達に行った。
 トラックの荷台に人が乗るのは道交法か何かの違反になるらしいのだが、荷物を安全に運ぶための管理要員ということであれば違反にならないという理屈を聞かされた。
 エレベーターのない雑居ビルが辛かった。瓶ビール20本入りのケースを肩に担いで、4階、5階のスナックまで階段を上らなければねばならない。悪戦苦闘する学生バイトをしり目に、すいすい駆け上る人がいた。
 番頭さんだ。背は低いが、がっしり。ラグビーのフッカーみたいな体つきだ。性格もフッカーさながら、寡黙でまじめひと筋。学生は1ケースだけでヒーコラ(この擬音表現は死語か?)音を上げているのに、番頭さんは2ケース担いでもヘイチャラ(これも死語?)。ある日、聞いた。
 「どうしたらそんなに楽に担げるんですか」
 「担ごうとしない。肩のここにな、チョコンとのせればいいんだ」「チョコンですか」「そうチョコン」
 チョコン問答だ。肩のどこかにツボのようなところがあり、うまくツボにはまると、筋肉を無理なく稼働させて運べるようだった。
 赤坂、六本木も配達のエリア内。日活のニューアクション映画に出てきそうな怪しいジュータンバーの扉を開く。昼下がりの開店前だが、今晩何が起こるのかと、18歳の想像力を大いにかきたてられたものだ。
 日給は日払いで1400円。バイト代をもらったら、その足で駅前のデパートのビアガーデンへ直行。きれいに飲んでしまうことが多かった。番頭さんにビール担ぎの極意を学んだものの、免許皆伝まで修行を積む前に、あの短い夏は終わってしまった。
 

第101回合格電報屋という学生アルバイト

●受験生に代わって合格発表を見て打電
 学生時代の思い出を少し。記憶があいまいなところがあり、まちがっていたらごめんなさいということで。
 昭和40年代、筆者が通っていた首都圏の大学では入試時期、合格電報でひと稼ぎする学生たちがいた。試験当日、地方出身の受験生に対し、本人の代わりに張り出された合格発表を確認して、結果を電報で知らせてやると勧誘するものだ。サークル単位で校門前で待ち構え、「当クラブに頼むと、全員合格する」などと、過大広告気味の殺し文句で売り込んでいたような気がする。
 当然ながら大学当局は「うちとは関係ないから利用するな」と警告を発していた。当時は鉄道の便が悪いうえに、特急は高根の花。学生は特急に乗ろうともしない。筆者は北陸から夜行の急行列車で朝早く上野に着いた。
 上京するだけで一大プロジェクトだった。わざわざ合格発表を見るためだけには、なかなか再上京できない。だからこその合格電報屋。いつごろまで続いたものか。

第100回幻の世界仕事人図鑑

●昆虫採集のように土地土地の仕事人を探しに行く
 人に会って話を聞くライター稼業をこなしながら、ひとつ夢があった。この世にどんな仕事が存在するのか、調べてみたい。できれば昆虫採集のように、地球上をあちこち歩き回り、土地土地の仕事人と出会う。
 許しを得られたら、どんな仕事なのか、やりがいは奈辺にあるのか教えてもらう。写真も撮らせてもらい、「世界仕事人図鑑」に組み入れていく。
 日の当たらない場所を好む昆虫や植物が少なくない。だから、裏稼業の人たちにもアプローチしたい。詐欺師、盗っ人の類だ。「詐欺師の理想とは」「尊敬する盗っ人は」「座右の銘は」などと、作業手順や仕事哲学をまじめに聞き、まじめに答えてもらう。
 時の移ろいとともに消えてしまう仕事もあるだろう。筆者の業界筋では、写植オペレーターはいなくなったのではないか。しかし、写植が出てくる前の活版印刷の仕事は、一部ながら町なかの印刷屋に残っているらしい。活版印刷独特の凹凸感が、若い人たちに再評価されているという。活字が残る限り、文選や大組という仕事も同時に受け継がれているはずだ。
 仕事の多様性は、そのまま人間や社会の多様性につながる。絶滅職種、絶滅危惧職種の調査研究も必要になってこよう。しかし、うっかりしているうちに筆者の持ち時間はすっかり少なくなってしまった。残念だが、しょうがない。