第113回分かっちゃいるけどノットリリースザボール

●倒れ込んでやっかいごとを抱え込むのが得意技
 ラグビーノットリリースザボールとは、タックルを受けて倒れた選手がボールを放さないときの反則。寝転がった選手はプレーできない。敵陣深く攻め込んでも、ボールを放したら相手に取られ、攻撃権を奪われかねない。だから味方の選手のフォローが遅いときに、つい抱え込んでしまう。あくまでも攻めたいがゆえの反則だ。
 筆者はやっかいごとを抱え込んでしまう。マイナスの反則である。問題は直視し、すばやく対策を講じると、影響は小さくて済む。分かっていながらできない。ぐずぐず、うじうじ、ぐだぐだ。悩んでいる状態が、常態化している。
 若いころ著書にサインをしてもらったベテランの心理学者がいう。「悩んでいる最中は行動しなくていい。いつまでも悩んでいる方が、本人にとって楽なんですよ」。悩み相談のプロの意外な読み解きだ。
 人気学者だからと言ってひどい。残酷な言い回しだろう。当たっているから怖い。けっこうなエネルギーを費やす「うじうじ悩み力」を、なんとか得意技に磨きあげ、反転攻撃に生かせないものか。

第112回スクラムが成立しない現代政治の悲しさ

●与党は歴史的善政を野党はコミュニケーションを
 昭和晩期のラグビー早明戦スクラムの情景は今と違っていた。
 ワセダFW陣はひとり平均10キロも軽い。早々と陣形を整え、低く構えてメイジを待つ。決死隊の覚悟だ。
 メイジFWはのっしのっしと歩いて集結。機械式の重戦車なので、全身を起動させるまで少々手間がかかる。肩や腰や尻を振って内燃機関や駆動装置の調子を試し終わると、パワー全開だ。
 ズン。ワセダはあらゆる手立てを講じてメイジ重戦車の圧力に耐え抜き、圧力をそらす、かわす。メイジはワセダの仕掛けを分かっていながら受けて立つ。
 激闘の末、勝ったり負けたり。大観衆が見守る中、名勝負のドラマとともに、政権交代が繰り返し成立していた。
 翻って現代の政界。政権選択選挙を迎えても、なかなかスクラムが組めない。
 野党陣営のメンバーが決まらないからだ。「おまえの隣は嫌だ」「おまえこそ引っ込め」などと、うちわげんかが続く。中には「ほんとはあっち側へいきたい」と言い出すのも。審判が注意するためキャプテンを呼ぼうとするが、選手に聞いてもだれがキャプテンか特定できないという。
 しょうがない。審判が「危ないから、ちゃんと組みなさい、ちゃんと」とアピールしたうえで、ズン。初めから勝負にならない。与党陣営の完勝は織り込み済みだ。
 与党諸賢にとっては、慢心が敵。おごることなく、野党を支持した人たちの声にも耳を傾けて歴史的な善政を行っていただきたい。
 野党諸賢にはなかなか言葉が見つからない。スクラムの組み方を忘れないうちに、戦えるチームになってフィールドに戻ってきてほしい。必要なのは、前日本代表監督のエディさんが高校ラガーに指摘したように、「もっとコミュニケーションしなさい」だろう。みんないい試合を観たい。
 

第111回人生はスクラムハーフ

●自分に向かって「ユーズイット!」
 最近、ひらめいた。人生はスクラムハーフだ。文法的におかしい。直観だ。
筆者はラグビーファン歴45年。ラグビーボールをさわったのは数回だけ。妄想的ラグビーファンという謙虚な自覚はある。
 スクラムハーフの仕事は配球。スクラムやモール、ラックから出たボールの配球方法には選択肢がある。パス、キック。3つ目が自分でボールを持って前へ。どの方法を選んでも、どのスペースへボールを移動させるかで、選択肢はどんどん増えていく。
 ただし、スクラムハーフ最大の任務は、すばやい球出しだ。どの選択肢を選ぶにしろ、遅ければ勝機は遅れた分だけ遠ざかる。「想定外の事態に遭遇したものの、熟慮に熟慮を重ねて総合的に判断して、貴君にパスすることにした」――なんてやってられない。
 迷っているひまはない。結果はともあれ、パスする、蹴る、自分で突っ込む。それから先? また考えるしかしゃあない。開き直りだ。
 どんな素晴らしいボールでも動かさないと生きてこない。動いてこそ、勝機が生まれる。動かすうちに輝いてくる。若い世代に言いたい。よく考えろ、深く考えよ。ただし考えすぎるな。動きながら考えればええやないか。
 ――ユーズイット!
 自分に向かって、叫ぼう。はよ、出せや。みんな待っているで。
 
 

第110回「採用するなら旧帝大生だけ」

●親父からの呼び出し電話
 夜7時を過ぎていただろうか。アパートに隣接する大家さんが「電話ですよ」と声をかけてくれた。
 故郷の親父からだった。
「やっぱり今年はだめらしい。少しは採るらしいが、旧帝大生だけと言われた」
 声が低い。親父は機械メーカーに勤めていた。昭和50年秋、筆者は就活をしていた。第2次石油ショックのあおりで、就職戦線は氷河期を迎えていた。上場企業の3分の1が採用停止か採用人数の大幅抑制というありさま。広告業界では電通が採らないので、東大生を筆頭に、みんな二番手の博報堂へ流れた。冷やかしに出掛けた博報堂会社説明会は超満員だった。
 親父の勤める会社も表向きは採用中止。しかし、「わずかに幹部候補生は採用するらしい」。内部情報をもとに、親父はその筋に息子の就職を依頼したらしい。だめもとだったろうが、返事は無残だった。
 「旧帝大生だけ」。叩き上げの親父に、はたして意味が変わったのだろうか。電話口で「申し訳ない」を繰り返す。少し酔っているようだった。
 申し訳ないのは、あなたではない。旧帝大生ではないバカ息子だった。長男の帰郷を願っていた親父はつらいだろうなと感じつつ、バカ息子は「いなかへ帰らない言い訳ができた」と親不孝なことを考えていた。

第109回誠実そうな「氷山の一角」くんを信頼する私たち

●いつも幸せそうな「氷山の一角」さんがうらやましい
 「まさかこんなひどいことをするなんて」。著名人の不祥事や組織の異常事態が表沙汰になった時のよくある反応のひとつだろう。「ショック…」「あいつはブレた」「裏切られた」となる。ひいき筋の不祥事には、筆者も例外ではない。
 落ち込みながらも、少し違うかもしれないと思う。見えているのは「氷山の一角」だ。「氷山」にとってではなく、見ている自分にとって望ましく、都合の良い「氷山の一角」だ。私たちは日々、誠実そうな「氷山の一角」くんを信頼し、いつも笑顔の幸せそうな「氷山の一角」さんをうらやましく思い、まちを歩けば、たくさんの安全安心で心地よい「氷山の一角」とすれ違いながら生きている。
 水面下に沈んでいる素顔は知らない、分からない、見たくもない。互いに互いをあまり知らないまんま生きている。善悪、清濁、黒白、安全危険、前後左右。氷山は森羅万象もろもろの成分をどっぷり呑みこみ、あやういバランスを保って浮かんでいる。漂流しながら刻々と姿を変えていく。自浄作用が働くだろうし、悪に染まりやすいかもしれない。
 氷山本人にすら、全容解明はむずかしい。それでも、そこそこまともに暮らし、まずまずまともな世の中にするには、互いに何が必要なのか。みんな「氷山の一角」くんに「氷山の一角」さん。肝に銘じておきたい。

第108回「人の世はオペレーションで決まる」

●「俺は今 どこの党だと 秘書に聞き」
 人が組織を形成する様子、人や組織が判断する様子に関する言葉を思いつくままに羅列してみよう。
 連盟・連帯、連合(軍)、同盟(軍)、連判状、合意文書、組合、五人組、チーム、ユニット、コミュニティ、ネットワーク、村八分
 棚ざらし、塩漬け、お蔵入り、水入り、仕切り直し、ペンディング、継続審議、全会一致、弾力的運営、総論賛成・各論反対、両論併記、玉虫色、灰色決着、問題Aは「そばに置き」、小異を捨て大同に付く、「政治生命をかけて」、理念なき野合。「俺は今、どこの党だと秘書に聞き」。
 軍縮・軍拡、宣戦布告、休戦・停戦交渉、和戦両様、密約、密議、密書、念書、覚え書き、秘密交渉、極秘情報、オフレコ、リーク、タレコミ、自主規制、機密漏洩。
 丸投げ・丸呑み、根回し、水面下の調整、正面突破、背水の陣、陽動作戦、多元外交、八方美人、弱腰外交、鎖国・開国、非関税障壁、(強い敵と)差し違える、玉砕・特攻・片道切符。謀反、裏切り、反旗を翻す、寝返りを促す。統一会派、政党渡り鳥、オリーブの木
 独裁・独断、民主制、トップダウンボトムアップ武断政治、傀儡政権、事実上の院政、烏合の衆、決められない政治。1強多弱、派閥・村政治、数の政治、多数派工作、分断工作、少数意見に耳を傾ける、御伽衆、陰陽師、参謀、二重スパイ、国対族、熟考・熟慮・熟議、予定調和、不毛の会議。
 落としどころを探す、「間を取ってこのあたりで」、ギブアンドテイク、妥協の産物、名を捨て実を取る、まんまと術中にはまる。持ち帰って検討する、「地方の声は違う!」。
 御前会議、長老会議、頼もしいおじき(東映仁侠映画での渋い池部良の役回り)、第三者委員会、諮問委員会、連絡調整会議、OBOG会、同窓会、首脳会議・次官級会議、総会・役員会、親睦会、編集会議、ブレスト、プレゼン、オーディション。謝罪会見。会議ばっかり、会議は踊る。「会議で決まったんだから、しょうがないだろ」「そんなあ」「いいから来い、飲みに行くぞ」「おいーす!」
 今も昔もサイズの大小を問わず、組織運営はたいへんだ。てんでばらばらの人間が集まる社会を切り盛りするには、ありとあらゆる知恵をしぼり、なんとかうまく転がしていかねばならない。
 上記の言葉をかみしめれば、すべてが、ある意味、正解で不正解。間違っているようで間違っていないかもしれない。要はやり方次第。理論ではなく実際。中身、組み合わせ、ブリコラージュだ。「人の世はオペレーションで決まる」。平凡かもしれないが、筆者の現時点での仮の結論である。当コラム108回を迎えたが、煩悩は尽きそうにない。

第107回大作「日本沈没」に出演(したらしい)

●「ドボーンと海へ落ちるやつはおらんか」
 学生時代のバイト噺、今度はエキストラ出演。小松左京原作の大作「日本沈没」。朝早く都内からバスに乗せられて伊豆半島へ。日本列島が沈没する際、難民たちが船で確か朝鮮半島へ逃げるシーンの撮影だった。
 「3時間ぐらいで3千円」とかのふれこみだった。バイト代の相場が日給2000円ぐらいの時代。俳優たちの顔も拝める。まずまずのバイトだろう。大学が冬休みのころだったか、木枯らしが肌を刺す。おまけに大きな扇風機でゴーゴーと風を送り込む。
 海岸伝いに難民たちが船へ乗り込むシーンを何度か繰り返す。OKが出ない。緊迫感が足りないらしい。助監督風の男が突然、大声で呼びかける。
 「ドボーンと海へ落ちるやつはおらんか。1万円出す!」
 仲間と顔を見合わせて「俺?」「無理ムリ!」。ところが、ひとりの若者が「やります!」と、名乗り出た。役者のタマゴ風。さすが根性が違う。
 さながら海の階段落ちだ。彼は派手に落ちて見せた。お見事。結局、えんえんと船に乗せられ、晴れて解放されたのは10時間ぐらい後だったろうか。
 完成した映画を観た。海上をさまよう船のシーンは15秒ほど映っただろうか。ヘリからの撮影分だ。10時間で15秒。茶色いコールテンの上着を着て、船酔いで青白い顔付きのにいちゃん難民が、ちょっとでも映っていたら、筆者である。